トールとアーサーは陽桜の部屋にいた。眠りに落ちた陽桜の怪我を残らず治癒し、「確認」を取るためだった。

「あー、やっぱすごいな。こりゃ」

 と、感嘆まじりに紡ぐ言葉の行き先は、陽桜本人ではなく、陽桜の体の紋章だった。

 鳥の羽を模したような紋章は首筋から頬までのもののはずだった。しかし今は紋章は上半身に渡って描かれていた。

「この世界が陽桜の力を抑えられなくなっている・・・・・・と主は言っていたが」

「そうなのか?」

 とトールが問い返すのでアーサーはローキックで返した。

「いってー! 何すんだ!」

「俺はお前と漫才をしたいわけではない。主の話はちゃんと記憶しろ」

「あーはいはい。で? そういうもんなのか?」

「……そうだ。そもそも今回の陽桜の「強化」の狙いはそこにある。わからなかったか? 陽桜がアゾットを使っている最中、まれに目が銀に輝いていたのを」

 そう言われ、トールは戦闘の記録をさらってみる。すると、程なくしてアゾットに炎を纏わせて肉薄してくる陽桜の目はうっすら白銀に染まっていた。

「あー、うん、確かにそうだな。って事はアゾットが馴染んでるのか」

「少なくとも主として認識しているようではあるな。使いこなすには陽桜の意思はもちろん、『鞘』がなくてはならないが。つまり、この体の紋章はここの人間ではないものを拒絶し、この世界の鋳型にはめるために広がったものだ。だがそれもいつまでも続くものではないだろう。遠からず陽桜は「この世界のものではなく、どの世界にもいいないもの」となるな」

 ふむふむ、となにやらトールは納得しているようであるが、どこまで理解しているかは微妙だ。

 そんな相棒を蔑むように見ていると、ふとトールが思いついたようにアーサーに問うた。

「じゃ、影楼は? あいつは自分(ヒーロー)に対する依存が滅法強くて自分(ヒーロー)の首を絞めてるようなもんだろ」

「影楼は放っておけば平気だ。ここまで教えれば後は自分のものにしていくだろう。そもそも戦闘に関する資質で言えば影楼の方が上だしな。センスや工夫としては陽桜が上だがな」

 うーむむむ、と首を傾げ、トールは更に疑問を放つ。

「常々思うんだがよー、あいつら自分自身って割にかーなーりー不理解だよな」

「ああ、それは仕方あるまい」

 アーサーは、陽桜の髪を一房手慰みに弄りながら答えた。

「陽桜が夜翼の死の真相を隠しているからな」

 二人の核心たる、真実を――

 その頃レクイの家ではスナが夕食の最後の仕上げに取り掛かっていた。その端で、珍しく起きているフィオナがくるくるてきぱきと無駄なく動くスナの様子を眺めていた。

 ジッ、と。何も言わずにただ向けられる視線をスナが気にする様子は無い。

「よ~し、こぉれで~完成~で~す」

 変わらぬ妙に間延びした口調で料理の完成を告げる。それまで黙っていたフィオナが不意に口を開き言葉を紡ごうとするのを「いりません~よぅ~?」の言葉と共にへらりとした笑顔で遮った。

 呆っとした表情で、フィオナはスナの後ろ姿を見る。彼はこちらを見てもいないのに喋ろうとした瞬間に振り返りさえぎった。

 着々と夕食の準備を進める彼は作業の手を止めることなく言う。

「ずぅ~っとぉ、むりをなさってい~るでしょぉ? フィオナさ~んはぁ、本来~面~倒~臭が~り屋さ~んなぁのにぃ、最近~い~っぱぁいお喋り~なさって~、まぁす」

 その言葉に、フィオナの表情が崩れることはない。けれど決して、それは驚いていないというわけではないのだ。

「魂ぃ~削れ~るのはぁ、変わ~ってな~いハズです~。で~も無理に~喋~るのぁ……」

 その言葉の続きを、スナは口にしなかった。けれどもフィオナはうつむく。言外に告げられた内容が正解だとでも言って頷くようにも見える。

 やがて準備を整えたスナは、ぽすん、とフィオナの頭に手を置くと軽く撫でてやる。

「……大丈夫です~よぅ。『願い』ちゃぁ~んとぉ、届~きますか~ら~」

 へらへらとスナが笑うと、フィオナが顔を上げてわずかに小首を傾げた。じっと見上げる顔に表情こそないものの、その仕種は『知っているの?』と言っていた。

「私~、実はぁ研究テ~マぁがぁ~『願い』なぁので~」

 そう言ってスナはまた、へらりと笑うのであった。

 同じ頃、マラトラムのどこかでカーネイジはいらだっていた。

 フィールのことをローズノーズに指摘された。そんなことは自分だってわかっている。あの女神と幾度も戦った。けれど無理だった。相手は人の感情を操作してくる。フィールに抵抗しようとも、その気持ちを変えられてしまう。

「……なんとか抵抗することは出来るようになった。けれどそれ以上は無理だ」

 いっそのこと感情を失ったほうが早いんじゃないか? そう思えてくる。こうしている間でも奴は取り込もうとしている。彼女から解放されるためには、彼女を殺すか、自分が死ぬか。

「……死んだほうが、早いかも」

 自分で言って、そして笑みがこみあげてきた。とんだ弱虫。行ってすぐに死にたくないと思ってしまった。どうして? 守りたい人がいるから?

 頭に浮かんだ黒髪の女性を急いで消す。この気持ちまで歪められてたまるか。

 リーザをコロシテ、彼女までコロシタラ……終わりだ。

「キディック、これからどうする?」

 名前を呼ばれて我に返る。「今はカーネイジだって、言いましたよネ?」ヴォルスングに言って立ち上がる。

「……一度、アカシックレコードに戻るのもいいかと思ったんですが、戻れないんですよネ、いま」

「なぜだ?」

「戻れない、つまり戻ってきてほしくない。フィスラティト様を孤立させて、あの人は何をいようとしているのか。何度か会話してみたけれど、好きになれない人だな」

「……話が見えてこないんだが?」

「ゼノヴィア=バレット=ファルコナー。異世界の人間で、次の話を読みたいと急かす子どものようで、貪欲で、まあとにかく、イヤな一、という感じですかネ?」

 そうなるとコウ=ネイザーは自由になったか、とカーネイジが眉をひそめる。

「……智(ケルビム)の半分がいなくなるのは、ちょっとイタイかも……」

 言うわりには口元に笑みが浮かんでいる。どちらのカーネイジかはわからない。



 一方その頃、フォールンで特訓している陽桜達はというと。

「はあっ!」

 ギィンッという鋼の音、陽桜のアゾットを受け止めたトールはそれを流し、紫電を放つ。わずかな隙をついた攻撃だったが、何日にも及ぶ死闘でカンはすでに戻っていた。この攻撃を避け、再び攻撃に入る。トールもこれには驚いたようで若干押されていた。

 そしてその隣では影楼とアーサーの戦いが行われている。剣と拳という間合いの違う戦いではあったが、影楼はアーサーの剣を交わし、詰め寄り、アーサーはそれを嫌って攻撃をしては間合いを老とする、アーサーの防戦一方。

 二人の戦いを見守るフィオナ、ベルノーゼ、スナの目にも、二人の成長がよくわかっていた。

 そしてその時はやってきた。陽桜がトールの槌を、影楼がアーサーの剣をそれぞれはじいた。

「「……合格」」

 アーサーとトールが同時に言葉を紡ぐ。その言葉に、プツリと糸が切れたかのように、二人はその場に座り込む。それも無理はない。朝からずっと戦い続け、日がくれれば戦いは終わるが、長い戦いに胃は食べ物を受け付けず、トール達に押し込まれ、あとはもう泥のように眠ってしまう。それが連日続き、肉体的にも精神的にも限界が来ていたはずだ。

「お疲れ~様~で~す~」

 スナがタオルを手渡す。それを受けより、荒い息を整えようとする。と、「目的も達成したし、俺らがやれるのはここまでだ」とトールが二人に声をかける。

「少しはこの先の戦いの足しになるだろ。力におぼれずに俺と戦った時のことを思い出せよ。おまえは元から強いんだから、あの変な力を使わなくてもいいはずだ」

「あ、ああ……」

「いずれ戦う相手のために、今のことを忘れないことだな。中々楽しませてもらえた。礼を言う」

「えっ、ああ、こっちこそ、どうも」

 陽桜と影楼がそれぞれ返事をし、「ということで夕飯にしようぜ。おいメガネ、飯は用意できているか?」「もう少し~ですよ~」とレクイの家の方へと歩いていく。

 残されたのは陽桜と影楼、フィオナとベルノーゼ。フィオナは相変わらず眠たそうにコクリコクリと舟を漕いでいる。ベルノーゼはそのお守り状態となっていた。

 レクイに戻らないとトールが無理やり連れに戻ってくるはずだ。そう思って立ち上がり、影楼の方を見る。「……?」気のせいかベルノーゼの方を見て――いや、睨んでいる。

 ああそうか、と思い出す。自分は許しているが、影楼や他の仲間はまだベルノーゼがここにいることを知らないし、フランの件のこともある。特訓を始めてからは話す時間もなかった。でも、それもたったいま終わった。

 もし殴りかかろうとしたら、止めに入ろう。影楼の拳を受けたら、ベルノーゼなんて一溜りも無い。

 小さく頷き、影楼の肩をポンッと叩いてからレクイの家へと向かう。ベルノーゼとフィオナもそれに続き、遅れて影楼が歩き出す音が聞こえた。



 その夜、眠れなくて外へ出る陽桜。と、先客がいた。

「どうも」

「……ベルノーゼも眠れないのか?」

「そんなところです」

『やほー、ヒーロー』

 見れば手首にブラッドがいた。「うるさいので今夜だけつけているんです」ベルノーゼが言う。

『え~、また僕スナとかに持たれるの? 大体僕ってベルの手首にあうようにしてあるんだから、他人がつけたら手首が太くて窮屈なんだよ!』

「腕輪が文句を言うのか?」

 小さく笑い、ベルノーゼの隣に座る。

「……なんで、ブラッドを俺達の所に置いていったんだ?」

 前々から聞きたかったことを尋ねる。本人がいるのだから聞いてしまえ、とベルノーゼを見る。本人はしばらく沈黙し、口を開く。

「死ぬなら、仲間に殺されたい。そう思っただけです」

「……」

「どこで死んでも構わないんですが、まあ死に場所を考えたら陽桜さん達に、と思ったんですよ。それ以上は考えていません」

 聞かなければよかった、と陽桜は思ってしまった。こういった話は苦手だから。

「……すみません、忘れてください」

 察したベルノーゼが先に謝る。陽桜は何も言えず黙ってしまう。

「悪い癖なのは、わかっているんですけれどね……」小さく呟き、ベルノーゼが立ち上がる。「もう寝ます」そう言って、家へ戻ろうとする。

「……俺は、俺は殺さない!」

「……」

「何があっても殺さない。殺されそうなら助ける。ベルノーゼは仲間だと思っている。だから殺さない」

「……いずれ、戦う事になるかもしれませんよ?」

「それでも、俺は殺さない。だから信じてくれ」

 呆けているのか、怒っているのか、笑っているのか、表情は動かず、目も閉じているからわからない。「……本当に、あなたという人は」小さくベルノーゼが笑った。

「じゃあ、守ってくれますか? 僕も、あなたを守ります」

 スッと、ベルノーゼが手を伸ばす。陽桜はためらわずその手を取った。握ってからその手が死人の様に冷たい、ということに驚いたが、すぐに納得した。そういえば心臓が無いんだったと。言い方は悪いが、ベルノーゼは歩く死体、ということになる。一応心臓は別の所で動いているから、死体ではないと思うが。

『友情って奴なのかなぁ?』

 二人に聞こえないように、ぼそりとブラッドが呟いた。





「……ふうん、ずいぶんと面白い能力を持っているな」

 開発室で鞘の分析を行っていたコルトがニヤリと笑う。

「何かわかったんっすか?」

 トサカとあっちゃんが何事かとコルトに近寄る。

「鞘にアゾットの力を封じる力、所持者を守護する力を持つのはもうわかっているな? 他に物事の具象化もあるらしい」

「具象って、それを本当にするってことですね」

「まあそんな所だな、恐ろしいのは人や物のみならず世界をも具象化出来るってことだ」

「というと?」

「早い話が、この鞘で世界を元に戻すことも可能ってことだ。アカシックレコードにとっては破壊すべき対象であるということ、だな」

「じゃあ、壊したほうがいいってことっすよね?」

「……いや、鞘のみでは機能しない。アゾットと合わせることで初めて可能となる。フィスラティト様に報告して支持を仰ぐことにするか」

 コルトが主に連絡を取ろうと通信機に向かって歩き出す。「あれ?」と後ろからあっちゃんの声。「どうした? ……っ!?」振り返り、二人の元、正確には二人が立っているさらに先の鞘が乗っていた台へと向かう。

 無い。先程まであったはずの鞘がなくなっている。そんな馬鹿なことがあるのか? 自分が目を離したのはほんのわずか。誰かが取ったにしてもトサカと鴉津明王の目の前でそんなこと出来るはずがない。

「……おまえら、隠していないよな?」

 コルトの問いに全力で二人が頷く。では他に誰が?「……デニス!」扉の近くに立たせていた下僕の名前を呼ぶ。彼は近くのスイッチを押し、傍のモニターに文字が現れる。

「……微量のマナを検知、時の魔法を使った者がいます」

「時の魔法……?」

 開発室メンバーの中にそんな魔法を使える者はいない。さらに鞘の存在はここにいるメンバー、鞘の回収を依頼してきた者以外は知らない、はず。ならばその依頼をしてきた者が持っていった? ならばなぜ魔法――時間停止の魔法を使わなければならなかったのか?

「……なんだこれ、アカシックレコードの中にユダでもいるのか?」

 つぶやいたコルトの言葉に答えた者はいなかった。


 アカシックレコードからアゾットの鞘が無くなった少し後、黒い鞘のみを持って歩く男の姿がタンブランカ=タムにある森の奥、樹齢三桁はあろうかという大きな樹の下で歩みを止める。

「……神聖なこの樹の傍なら、アカシックレコードもゼノヴィアもこの鞘の所在はわからない」

 根と地面に出来た隙間に鞘を入れ、男は踵を返す。

「さて、あとは陽桜君に場所を教えますか」しばらく歩いて、男は大きなあくびをする。「あ~、そろそろ寝ないといけない時間だ」

 これからなのになぁ、と思いながら、「ルル、ルル?」と誰かの名前を呼ぶ。しばらくして、「もう時間なの?」と小さな女性が空から飛んでやってくる。妖精族のようだ。

「うん、もう時間だから俺は一度寝る。その間いつもの情報収集をお願いするよ」

「わかったわ。じゃあまたあとでね。おやすみ、ナナキ」

 ナナキと呼ばれた男は飛んでいくルルに手を振り、「さてと、どこで寝ようかな」と今日の寝どころを探す為にその場から消えた。


 一方その頃、クラウンの魔法によって、リーザ達はマラトラムのとある場所へと飛んできた。

「……ここは?」

「里からそう遠く離れていない所だ。あいつらに置き土産をやったし、しばらくすれば里に戻っても大丈夫だろ」

 それまでここで休憩、そういってクラウンはどこかへと行ってしまった。

「……」

「リーザ、どこか怪我でもした? 立っていて平気?」

 先程普通ではない悲鳴を上げていたのをルヴァルとセンカは聞いている。カーネイジが何かしたのではないかと心配しているのだ。

「……平気じゃ、ただ奴が余計なことを言ったまでのこと。もうなんともない」

「……そう」

「それよりも、ローズノーズが最後に言っていたのを覚えておるか?」

「まだ三人いる、か?」

「イーノクの生き残りは赤毛小僧達だけだと思っていたが、他にもまだ二人いる、ということらしいのう」

 フラン達は自分達の他にイーノクがいる、というのは話していなかった。ならフラン達も知らないイーノクがいるということだ。

『それ、寿安と圭安のことですよ』

 レントの声にリーザやルヴァル、センカも驚く。「本当か?」とリーザが問いかける。

『ブラッドが教えてくれました。まあ、ブラッドはベルノーゼから聞いたと思いますが、ブラッドはしゃべりたがりですからね、いろいろと聞かせてくれるんですよ』

「……わたしにも教えてほしかった」

「寿安か、智(ケルビム)の一人がイーノクとは……圭安の方は名前からして寿安と血縁があるのか?」

「お兄さんだと聞いたことがある。それに、寿安についてはコウ=ネイザーがこちらに連れてくるってベルが言っていた」

「そういえばそうじゃったのう……女神の器になる可能性のある者はこちらで確保しておいたほうがもしもの時にいいやもしれぬ」ふむ、とリーザがうなずき、「里に戻って準備が終わり次第小僧達と合流しよう」

「そのほうがいいな」

「ええ」

 ルヴァルとセンカもうなずき、クランが戻ってくるのを待つことにした。と、リーザが森の中へと消えていく。一応危険な状態ではある。カーネイジやヴォルスングがまだ近くにいるかもしれない。

「……ルヴァル、行ってあげて」

「?」

「リーザ、危ないから」

「……」

 なぜ自分が? という顔をしているルヴァルの背を押し、森の方へと向かわせる。

『……なんでルヴァルなんですか? 女性同士のほうがよいのでは?』

「怯えていた。何かを言われて心を折られた人は誰かがいないと立ち上がれない。ルヴァルはそれを知っていると思う。わたしにはリーザに手を伸ばすことが出来ても、立ち上がらせることは出来ないから」

 かつて自分にそうしてくれた人の事を思い出す。自分のせいで光を失ってしまったあの人を。自分のせいなのに、あの人は変わらず笑みを向けてくれる。だから今度は自分の番だ。あの人に手を伸ばさないといけない。闘技場で見たあの人は、今にも泣きだしてしまいそうな顔だったから……。

 センカに背を押されて森の中を進むルヴァル。と、木の下で小さくなっているリーザがいた。近くに行こうとしてふとある言葉が脳裏をかすめる。

『あの子は、まだまだ子どもなんです』

 その言葉を言ったのはアンセスタだったか。一度だけ、アンセスタがリーザのことを教えてくれた。自分がリーザの母親であることを教えてはいけない、とメティカの上の人達に口止めされていたそうだ。その方が、リーザは〝いい子〟に育つから。けれど上は何もわかっていなかった、父親と母親がいない子どもは決して〝いい子〟になんて育たない。両親がいない、周りは彼女を見ない、その中で彼女はよく育った。

 けれど、身体が成長していても、心は成長しきれていない。今の彼女の心は無理やり大人にさせられたという方が正しい。だから、心無い一言に揺れ動く。時にはそれで壊れてしまうこともある。

『だから、その時はあの子に声をかけてください。わたしは母親なのに、母親ではないから……』

 その時のアンセスタは母親の顔をしていた。リーザも成長し、彼女が母親であることはもう知っている。けれど溝は深すぎて、リーザは母親に頼ることはしなかった。

「……どうした?」

 あたりさわりのない言葉をリーザにかける。ピクン、と頭が動き、けれどそれ以上は何も変わらない。

「カーネイジに何を言われた?」

 今度は直球。センカも聞いたが、答えてはくれなかった。

「……ひとりぼっち」小さな、本当に小さな声でリーザが言う。「何もしないで、ボクらはキミをひとりぼっちにしたんだ、とそう言った」

「……」

 ひとりぼっち。それはリーザのもっとも嫌う言葉。一族の中で彼女はひとりだった。だから大人になるしかなかった。大人って何だろう? どうすればなれるのかな?

 形だけでも大人になれれば、ひとりにならないかな? それが、幼い彼女が思ったことだった。

「ようやくわかった、みんながなんで冷たかったのか、ひとりぼっちだったのか、『焔の災厄』を起こした奴の娘なんて誰が近寄る? 誰が声をかける? 誰が……誰が……」

 目から大粒の涙が落ちていく。泣くなんていつ以来だろうか。怖さなんて、悲しみなんて友人の死と共に忘れて、置いてきたはずなのに……。

 ローズノーズが、リコリスが、恐怖を、悲しみを取りのぞいてくれた。でもどうしよう、もう彼女達はいない。さっきローズノーズに助けてもらったのに、気持ちを止めることが出来ない。自分がこんな弱い存在だったなんて……。

 ポンッと頭に何かが乗る。頭を上げればルヴァルがそこにいて、彼の大きな手が自分の頭に乗っていた。

「少なくとも、わたし達はおまえをひとりにはしていないぞ」

「……」

 わたし達というのは、陽桜達のこともさしている。数かげる彼らと共に行動をし、騒いだり笑ったりしてきた。それは違えようのない真実だ。

「……ごめんなさい、変なこと言って」

「気にはしていない。むしろ久しぶりに聞いたな」

「?」

「しゃべりかた」

「……っ!」一気にリーザの顔が真っ赤になり、「う、うるさい! おぬしが不意に現れるからじゃ!」手を払い、立ち上がる。

「元のしゃべり方でもかまわないだろ? おまえはもう大人なんだし、そっちの方が」

「いいんじゃ! 何百年このしゃべり方でいると思っている! 癖じゃ癖! すぐに治せるわけもないじゃろう!」

 後ろを振り向くリーザを見て、なんだか笑みがこぼれそうになった。リコリスが死んだ時も、さっきまでの話し方をしていた。ショックが強すぎると、あのようなしゃべり方になるのだと言っていた。今のしゃべり方になった理由も教えてくれたが、あの日はかなりのペースで酒を飲んでいたから、果たしてどこまで覚えているのか。

「……そろそろ戻ろう、クラウンが戻ってきているかもしれない」

 元来た道を戻ろうとしたら、袖をひっぱられた。見ればリーザがしがみつくように袖をつかんでいた。

「……ありがとう、少しだけ楽になった」

 礼を言って、リーザが先に歩き出し、ルヴァルもそれについていく。前を歩きながらポーチの中からアオを取り出した。中にいるのは、友人と同じ顔と名の女性。

(……傍にいて、似合っていたからさほど思わなかった。けれど二人でよく話をするようになって、今ので気が付いた)

 アオをしまい、後ろを歩いているであろうルヴァルを見たいと思ったけれど、出来なかった。ここで振り向いても、彼はきっと不思議がるだろう。

(いつの頃からだったんだろう、知らぬ間に、ルヴァルの事……)