寿安はそこで目を覚ました。懐かしい夢だった。
最近、あの暗い夢を見ない。そのかわり、昔の思い出――今日みたいなものや日頃、ちょっと笑ってしまうような事が夢に出てきたりする。
それがなければ――桜の夢を見る。
さらさらと舞う花弁。一面に広がる桜樹木。空には満天の星空。新円の月。
不審や不思議に思うよりも、まるで護られているような安心感を覚えるのだ。
(父様みたいっていうとファザコンなのかしらね)
懐かしさの余韻にひたりながら、寿安はもう一度瞳を閉じた。
寿安が目を閉じてすやすやと眠りにつくと、そこに一人の人影があらわれた。こうしている今も気配を消している。人影の名はコウ=ネイザー。
アカシックレコード内が荒れている。そして、フィスラティトがこちらを捕捉できない状況へと陥っている。
時期尚早だが、連れて行ける機会はこれを逃せば、ない。
コウは寿安を担いで部屋から出る。地階から正規のルートまで、コウを近くできた人物はいなかった。
たった二人を除いては……。
「あら、コウったらやっぱり期待通りに動いてくれるじゃない。まあ、どこまでその子を連れて行けるか問題なんだけれど……コウだったら自分の命と引き換えてでもあの子をヒーローちゃんのところに連れて行ってくれるし」
えらく盛大に模様替えでもしたのか、今度はアットホームな感じに部屋が作られている。
ロッキングチェアによりかかりながら長い髪の毛をゆるい三つ編みにあみつつ、脳内の中で状況を俯瞰している。
やがてこんこん、と控えめなノックが響き、一人の女性が盆をもってやってきた。
「ご主人様。お茶が入りました」
「あたしココアがいいって言ったのに。モイラのばか」
「お茶を飲みなさい、ご主人様」
「命令系!?」
その女性はギリシャ神話の三女神の名を冠した――かつての演算機関であった。
〈三女神〉(モイラ)。かつて世界を変革する計画の一端を担っていた超高度未来予測演算機関moiraβ―17895、それの中枢に有機物無機物をぶちこみ、引っかきまぜて壊して壊して狂わせたはずだった。
しかし、最後のあがきなのか機械のフレキシブルさの成せる業なのか〈三女神〉(モイラ)は自分をつくりかえて何者にも侵されない孤立機関をつくりあげた。
彼女――と便宜上呼んでいるが――は己を組みかえたのち、こう言った。
(始めまして。ご主人様。私はmoiraΩ―00000(ゼロコード)と申します。自己殲滅亡目標をとしており、そのためにご主人様にお仕えします)
と。
なんでも〈三女神〉、イーノク、ゼノヴィア、陽桜と影楼のことをご主人様と呼ぶ。
(他の方は所謂歴史を回す端役――歯車にすぎません。主役はあくまで二柱の神。二人を彩る神の器と奪いし者。そして紡がれる陽と月の英雄譚。さあ、私をお使い潰しなさい。ご主人様)
そして自分は――その手を取った。
そんなけったいな過去を思い出しつつ、完璧な所作で茶を口に運ぶ。優しい味はまあ、一般的にはおいしいのだろうし、淹れ方も完璧だ。が、ハーブティはあまり好きではない。
茶でのめるものはとろける程甘いミルクティだ。頼んで作らせたら「美味しい」といったのにそれ以降全く作ってくれない。
本当に敬まれているのだろうか。
「仕方ないですね。今度はバター茶にします」
「イジメ!?」
「それよりご主人様。ご主人様はどうでしょうか?」
「……どのご主人様よ」
「同一存在のご主人様です」
「陽桜ちゃんと影楼ちゃん? アーサーとトールなら問題ないわ。二日か三日かな。かつての鋭利さを取り戻すまではそのぐらいは。影楼ちゃんはメンタルがやや問題あるけど、こればっかりはプランが動かないことにはねえ」
「そうですか」
「それよりもモイラ」
ぎぃ、とロッキングチェアを後ろに反らし、上を向いてモイラを見上げる。
「概念魔具、あるじゃない? あれってなんでこの世界で作用するのかしら? 《幻影》はもうないのなら――あれは何の概念を持っているのかしら」
そのゼノヴィアの質問にモイラは当然のように答える。
「あれは確かに《幻影》の概念ではなくご主人様の思い描く世界の概念であります。ただ、それに似せた力を扱っているに過ぎないのです。あの世界すべてを認識し、従えることができるなら――ご主人様がかつて「英雄」と呼ばれた時よりも強大な力を手に入れることができるのですよ」
「その鍵がアゾットと『鞘』なのよね――。ちょっぱってくるのは今んとこ無理ねぇ」
「根性で何とかしなさい。だから駄目なのです」
「あんたに説教されるとはねぇ……」
そしてもう一人はフィスラティトだった。
(あぁ……もうっ!! リコリスは領域に閉じ込められて手が出せませんし、ベルノーゼの所在はつかめない! 他は情報が交錯して勝手に出ていってしまっていますし……!!)
事態は混迷していた。
通信能力が途絶え指令が交錯している。それの復旧に追われているとコウが寿安を連れて逃亡した。
コルトやデニス達には『鞘』を解析させなければいけないので動かせない。
カーネイジ、ヴォルスングも連絡がつかない。座(スロウンズ)はそろって自分が発令したという「任務」によって全員不在。
ゼノヴィア=バレット=ファルコナー。その一人の存在によって味方も敵も混乱の渦にのまれていた。