旅の計画中、当初は余り興味がなかった「時間の美術館」だが、実はここ、昔は Palais = 宮殿であったらしい。毎週火曜が休館日なので、水曜午後にパリに発つ自分は今日行っておかなければならない!

入ってすぐが中庭で、チケット売場は建物に入り左手。通り抜けが出来る道で、反対側には公園Square Granvelle。そこは昔、宮殿の庭園であった。
1532年から建築が始まる。内装にイタリアン + フラマン(Flamand)らしさが残る。行政上の重要人物の宿泊所として利用された時期もあるが、時間の美術館になったのは2002年から。
チケット購入後、宮殿内へ… 階段から始まる。
ルネッサンスの新しい建築方法で、階段が真っ直ぐであり、幅があり緩やかであり、馬も上れる。

入口正面にあるのは Jupiter de Granvelle。オリジナルはルーブル美術館。

Sirène de Palais Granvelle。宮殿中庭にあった噴水。現在、ここから2つ先の通り、21-7 Rue Charles Nodier に Fontaine des Dames と言う名で同じ噴水が見られる。貝の中に人魚が入っていて、とても愛らしい。
ここから水が出る。
1691年のブザンソン。
近くで見ると、何て細かい作業なんだと驚く。

1629年。伝染病、ペスト終結を願っての作品。下に居る、St.FerréolとSt.Ferjeux はブザンソンの守り神らしい。道理であちこちの教会、墓の両脇に居た筈だ。


城塞建築前の1615年。サン エティエン山には多数の住居が!建築に伴い、取り壊されたのはサン エティエン教会のみではなかった様だ。時間の美術館が宮殿であった頃で、噴水が当時の位置で描かれている。地図下には、いつもの St.FerréolとSt.Ferjeux。




桜の木へ彫刻。元々は宮殿の装飾の1つであったが、フランス革命後に Haute-Saon城、1950年頃、売買されベルギーに輸送される所であったが、1962年にルーブルの彫刻保護機関の申請により税関で止められ、宮殿に戻る。
角は勿論、色合い、毛並みの感じが美しいシカ。何と後ろは抜いてあった。
1番はテーブル用の太鼓形置時計。2番はアラーム付き。3番は Horloge à Jacquemart (人形が鐘を鳴らす)。右の砂時計はどうやってひっくり返すのだろう?
反対側からのショット。
収納棚。

Coffre de la ville。重要品、書類の収納ボックス。16世紀、南ドイツ製。

戴冠式(たいかんしき)のタピスリー。
ルイ14世は「太陽」を装飾のスローガンとして選ぶ。《 la plus vive et la plus belle image d'un grand monarque 》1852年、Petit Chamars の壁を修正中に発見された欠片。1774年に崩壊された Pont Battant 前にあった凱旋門の一部と思われる。
Louis XIV et son État-major。1880年頃。
Le siège de Besançon en 1674。

Les masacres de la guerre。1637年頃。ケルト人 + ドイツ人の軍隊から攻撃されたブザンソンの村人。画家はブザンソン出身、Pierre Maublanc。脚の裏を火あぶりされている人もいる…
ローマ帝国とフランス王国の境界に位置するフランシュコンテは、1635年~1644年、ヨーロッパで30年続いた戦争の影響を受ける。
17世紀の戦争と貧困。1644年、フランシュコンテは戦争から解放されるが、戦争とペストのせいで人口の半分を失っていた。ルイ14世が1668年、1674年と勝利を重ね、1678年にフランス王国の一部となる。
Portrait de Philippe II。
フィリップ2世の王政。父親の後、1556年に王位継承。スペイン、オランダ、フランシュコンテも彼の所有地だった。

Politico-Religieux (政治-宗教)を原因とした戦争が始まり、彼は父と同様にカトリックを守り、プロテスタント、トルコを攻撃。特にオランダでヒートアップし、オランダ貴族達がカトリックとスペイン王政に反発した。伯爵、Comtes d'Egmont、公爵 Horne par le Duc d'Albe の処刑をきっかけに、80年戦争が始まり、1648年に南オランダ(現在はベルギー)と北オランダはプロテスタントとに別れる。

1557年、Saint-Quentinでのフランスの勝利をきっかけに、フィリップ2世とフランス王国との戦いは続き、1595年にヘンリー4世が戦争勃発申請をするまで、フランシュコンテに影響し続けた。
Horloge du Cardinal。1564年。上は、曜日と月日、下は時刻。秒針はない。
16世紀の時計だが、18世紀にメカニズムが大幅に改良され、19世紀にまた改良。本来あった天文時計の多数表示が外される。
昔、ブザンソンにあった高級時計ブランド、LIPの壁面。およそ15人のアマチュア画家が、約2ヶ月かけて仕上げ、展示会後こちらに寄付。

時間の流れを表現する絵画。結構好き。

1810年に時計ブランド LIP の Lippmannがナポレオンにクロノメーター(高精度な携帯用ぜんまい時計)を贈る画。
Fred LIPの友達、Jean Oberléの作品。Isaac Lippmannが、ブザンソン在住ユダヤ人組織から、ナポレオンに時計を贈る画。これは伝説で不正確。
広告の一環だったのだろうか?
リップマン家族の壁画の歴史について。

ローマ数字で読み辛くても、大正、昭和時代には日本の一般家庭でも、このスタイルの置時計が人気であったと思う。
時刻表示はないが、地球と太陽がリアルタイムの速さで回っていたのかもしれない。
ブザンソン病院に展示してあった、3つの絵⬇️




Horloge d'Edifice。時計は祈りの時間を知る為、僧院の鉄の大型時計台に始まる。

窓から見える中庭の景色。屋根の柄はディジョンを想わせる。
今はもう殆ど見られなくなったスタイルの掛時計。
懐中時計。もう映画の中でしか見られない。
天文時計の名残を残した時計。
Saint-Jérôme méditant sur la mort = 死について考えるサン ジェロム。ロウソクと砂時計が残された時間を表現。
サン ジェロムは4世紀にカトリック聖書を翻訳する事に貢献した人物。
展示の端に居ても聞こえるチックタック、チックタック… どうりで他の時計台は止まったまま。
▶️0:11
▶️0:04
時計屋さんの店内。(珍しい題材の絵と思う。)


1526年、Charles Quintとポルトガルのいとこ、Isabelleの結婚式のタピスリー。誰一人として幸せそうでなく気になる絵。

Titienが描いた、Charles Quintの自画像。ルイ16世も持っていた、金羊毛のネックレスをしている。
オリジナルは行方不明だが、沢山のコピーが残る。
Nicolas Perrenot de Granvelleの自画像。
奥様の自画像は行方不明だが、Antoine de Granvelle はカンザスシティに保管。
- シャールカンに仕えたグランヴェル親子。
Philippe le Beau の後、オーストリア帝冠(ていかん) + ブルゴーニュとオーストリアの伯爵の称号を受け継いだCharles Quint。母親からはスペイン帝冠を受け継ぎ、北アフリカ、大西洋圏、アメリカにも所有地があり、象徴としてのエルサレム王。1519年Saint-Empire romain germanique に。

Nicolas Perrenot de Granvelleは1番の側近で、宮殿をシャール カンの生まれ育った地、ブザンソンに建てる事を選ぶ。

1階へ。
廊下。左手のアルファベットは、倒産した会社の屋根に数十年かけてあった物。めちゃくちゃ重い。
天体望遠鏡。

天文時計を制作するにあたって、天体の観察が重要。
大きなノッポの古時計が一杯。

ルイ14世とマリー アントワネットが好んだ時計ブランド Breguet。こちらは3台した製造しなかった時計の1つ。

窓が床ギリギリ。後に階を増築したのだろうか?
どれも素敵だが、自宅に置くには残念ながら大きすぎる…
懐中時計。腕時計が苦手な人には便利な一品。見ていると欲しくなる。
懐中時計のデザイン例。下は日本画。
フランシュコンテ地方の時計台の仕組み。

Horloge de parquet。1750年頃ロンドン製。
全身はこちら。お隣はパリのHorloge de parquet。
懐中時計。小さめのは女性用?
1, 2, 3は船乗りや海軍の時計。4はクロノメーター。

ブザンソンでのエンジニアのアトリエ。

昔の時計ブランド、LIPの展示会。従業員が労働システムに対し、グレーヴした時のポスター。

- 月給1000フラン以下は認めない!
- 買い物がもっとしやすくなる保証が欲しい!
- 定年は60歳!
- 保証手当ては最低800フラン!

今も昔もグレーヴの内容は変わらない…



ブザンソンの地図。



LIPのドキュメンタリーやCM。
さて、昨夜は酷い暴風雨だったが…
軽く雨漏りしている。
LIP CM1 ▶️0:21
LIP CM2 ▶️0:22
今はもう見られる事はないLIPの時計。
最上階からの素晴らしい眺め。ここに住みたい…



▶️0:24


上からの観覧も出来るが、かなり急な螺旋階段。
振り子の上。
▶️0:24
屋根の柄が良い!ここからは街の人々が歩く様子も見える。
常に同じ垂直線を辿っている。床の針が後戻りする時、振り子が回ったのではなく床!

▶️0:08
城塞とサン ジャン大聖堂が正面。街の屋根が一望出来る、最高の場所。

パンテオンにも Le pendule de Foucault がある。


美術館を出て中庭へ。そのまま反対側に通り抜け、昔は宮殿の庭園であった Square Granvelleを散歩。確かに彫刻や柱、壁の一部等々があちこちに残る公園。
そして、美術館正面の通り Grand rueに戻ってくる。テーブルから落っこちそうなこの時計20€、欲しかったが店も閉まっているし、パリへの持ち帰りに不便…
こちら。フランシュコンテ地方料理の専門レストラン。月曜~日曜迄オープン。

Au vieux Comtois
103 Grande Rue
25000 Besançon

さっそく中へ。が、廊下の後は中庭。
両側は一般のアパート。素敵。
2つ目の廊下へ。
ここです!隠れ家みたいで好き!
0階はキッチン + 10席弱の客席でクーラーはない様。地下にも客席がある。そしてクーラーがバッチリ効いている!席の間にはガラスの境が。
TVが3台もある。スポーツ観戦用かもしれない。
ビールは1664、デスペラドス、ピコン、ジュラ(ブザンソンとディジョンの間の街)の4選択。生ビールがない!
ワインの種類は豊富で高価。
フランシュコンテ カクテル等々…
ハチミツ入りビール La Rouget Mille fleur 6,80€。甘ったるいのかと思ったが、甘味よりビールの苦味の方が強い。まろやかで苦味が薄く、飲みやすくなった感じ。

Filet de bœuf nature 200g、26€。フランシュコンテの肉はやっぱり美味しい!焼き加減もパーフェクト。
グラタンが食べたかったが、朝食を採りすぎた様でそこまで空腹感がない。前菜のSalade aubépinesだけをチョイス。15,90€。フランシュコンテのハム、ソーセージも大好き!
Coupe 2 boules 5,50€。
Crème brûlée macvin 5,90€。久しぶりに食べたクレーム ブリュレ。スーパーのそれとは全く違う、本物の味!