ヤマザキ製パン 竹炭入りクロワッサン ミルク


竹炭を練り込み焼き上げたクロワッサンに ミルククリームをサンドして、 チョコをトッピングしました。

品名:菓子パン 原材料名:小麦粉・ミルククリーム・マーガリン・卵・チョコレート・砂糖・ショートニング・イースト・ココア・食塩・乳糖・竹炭・乳化剤・酸味料・pH調整剤・調味料(アミノ酸)・香料・カロチノイド色素・増粘多糖類・カゼインNa・クエン酸・ソルビット・V.C・リン酸塩(Na)・(原材料の一部に大豆を含む)

久々の「焼きたて!ジャぱん」シリーズである。これは正規(?)のジャぱんで「ジャぱん56号 改」ということになっている。前々回あたりの番組中に登場したパンが、早くも商品化されたわけだ。もちろん、放映前から企画はあったのだろうが、今までに登場したパンよりも実現しやすい商品だったことは間違いないだろう。

袋を開けて取り出してみる。竹炭入りなだけあって、生地は真っ黒だ。このジャぱんが登場した第29話は、ガンダムのパロディ(明らかにパロディの域を超えていたと思うが)で「黒い三連星」が出ていた。ガイア、マッシュ、オルテガという、そのまんまの名前、そのまんまの顔のキャラが登場し、あろうことかモビルスーツのドムまでそのまんま出ていた。画面下に「注)この番組は焼きたて!ジャぱんです」というスーパーが出たほどの徹底ぶりだ。僕は一瞬、ケロロ軍曹を観ているのかと思ってしまった。


番組の内容はさておき、どんなクリームが入っているのかを確認するため、切込みを開いてみる。中には白いミルククリームと、ブロックチョコが3つほどはさまっていた。パッケージには「チョコをトッピングしました」と書いてあったが、これはトッピングと言っていいのだろうか?ミルククリームから見ればトッピングになるのかもしれないが、パン全体として見れば、チョコははさんであるのだが。


食べてみると、ミルククリームはマーガリン系ではなく、口当たりは軽い。竹炭入りの生地はかすかに苦味があって、クリームの甘さとうまくかみ合っている。チョコはおそらく生地の苦味とのバランスを考えて入れたのかもしれないが、本当に必要かどうかは微妙なところだ。パッケージの説明を見ずにいきなり食べると、ブロックチョコがゴリッと歯に当たるのでびっくりするかもしれない。

全体的にはバランスの取れた味で、うまく出来ていると思う。ただ、クロワッサンというわりには生地が中途半端な感触だった。本当のクロワッサンの生地とは食感が違うのだが、これは商品の性質上、妥協すべき点かもしれない。

よって採点は10点中9点。ジャぱんの中ではメープルデニッシュ以来のヒットだ。
 物語の前半は忘れてしまったが、とにかく原始人みたいな、猿みたいなやつらが攻めてきていた。僕は狡賢い方法でやつらをハメて退治することを思いついた。これは実験だから、という話をしてある部屋に誘い込んで、カラーの世界、二色の世界、白黒の世界に分けた。

僕は原始人たちをわざと白黒の世界に分けた。白黒の世界にいる者は全員死んでしまうことを知っていたからだ。そうして原始人たちは死んでいった。あるいは僕が手を下して殺したのかもしれない。原始人はいつのまにか吸血鬼だということになっていた。最後のほうは映画の「ブレイド」みたいな感じになっていた。みんなドバッと血を噴出して死んでいった。悪夢だかなんだかよく分からない夢だった。
 キアヌ・リーブス主演の映画「コンスタンティン」を観た。内容や感想はさておき、映画の中のワンシーンに強烈なデジャヴを感じた。

 悪魔に襲われてプールに沈んでいたヒロインを、助手と共に引き上げて、ヒロインに乗り移った悪魔をなんとかしようとバタバタしている場面。びしょ濡れのヒロインが仰向けになって、画面の右側(ヒロインの足のほう)に主人公、左側(ヒロインの頭のほう)に助手がいる、というカットだ。

 その絵を見たとき、これは何年か前に夢で見たことがある、という強い感覚があった。デジャヴ自体はそれほど珍しくもないが、映画のワンシーンにそれを感じるというのは珍しい。結局、この映画の中でそのシーンが一番印象に残った。

 デジャヴというのは、頭の中で瞬間的に記憶と時間軸がずれることで起きると聞いたことがあるが、あの感覚は何回味わっても不思議なものだ。
 JRの列車が衝突したマンションの住人の一人が、テレビの取材に応えてこんなことを言っていた。

 「たくさんの人が亡くなった場所の上で生きるのは死んだ人に失礼だと思う。だからもうあのマンションには住めない」

 そう言いたくなるのもわかるが、実際のところ、人が死んだ場所では生活できないと言い出したら、どこにも住めなくなるのではないだろうか?現在人が生活している土地では、必ずいつかその場所で人が死んでいるはずだ。

 東京などは太平洋戦争の時の空襲で10万人もの人が死んでいるが、人はその上に再開発を重ね、繁栄を謳歌している。世界中、人が暮らしている場所には、特に繁栄している都市には、血塗られた歴史があるものだ。

 人間に限らず、全ての生命は、それ以上の膨大な死の上に成り立っているという現実を忘れてはいないだろうか?
 あなたは、自分のことを強い人間だと思うだろうか?それとも、弱い人間だと思うだろうか?もしそうなら、何を基準にそう思うのだろうか?

 強さや弱さは、あるものと比較した上での相対的な表現に過ぎない。あなたは自分自身の諸々の性質を、あなたの基準によって「弱い」というレッテルを貼ったひとまとまりの概念とし、それを「弱さ」と呼んでいる。その基準も、あなたがこれまでに見聞きしたものの寄せ集めからなるもので、絶対的な価値を持たない。

 強さや弱さが、何らかの権利を保障するものではない。強いからといって、様々な形の力を行使する権利や責任を持っているわけではないし、弱いからといって、庇護を受けたり、責務を免れるということはないのだ。ところが、まるでそのような権利があるかのように振舞う人々が多いのはどういうわけだろうか。

 人が強さや弱さにこだわるのはなぜか?それは、あいまいな基準を元に作られたレッテルの陰で、自身の強欲や怠惰、逃避などを正当化することができるからだ。