近所のスーパーで、ドイツ産スパゲティというのが1kg袋入りで105円という安さで売っていた。見たところ、普通のパスタより短く、色も薄い。まずいのかもしれないと思いつつ、安さにつられて買ってみた。

 茹で時間もなにも書いてないので、様子を見ながら茹でてみた。普通のパスタより2~3分短い時間で茹で上がった。どうも芯がなく、ふにゃふにゃした食感だ。給食のソフト麺より柔らかいかもしれない。やはり安物か。芯のないパスタはうまくない。

 ソースをかけて食べていると、パスタの断面に穴があいているのに気がついた。穴?パスタに穴・・・ということは、これはマカロニか。マカロニだったのか。どうりで芯がないはずだ。しかし、マカロニにしては長いじゃないか。カット前のマカロニだったのか。サラダに使えと言うのか。

うかつに安物に飛びつくもんじゃないなと思った。
 いつも行くスーパーの駐車場の隅に、カート置き場がある。パイプでできている枠で、そこにカートが収納されるやつだ。この間、そのパイプに跨って、妙な動きをしている駐車場係のおじさんがいた。黄色い防止に水色の上着を着ていたから、駐車場係の人に間違いない。パイプに跨って、足踏みをするような動きをしていた。それも、単なる足踏みではなく、微妙に腰が左右にひねったりしていて、実に妙な動きなのだ。何かの健康法だろうか?しかし、公衆の面前でやる動きではないなと思った。
 僕は中学生だった。修学旅行で月へ行くことになっており、その前に課題が出されていた。その答えをはがきに書いて先生に提出しないと旅行には参加できないことになっていた。月へ行ったら何をするか、みたいな問題があったような気がする。僕は当日になってから、急いではがきに答えを書いていた。

 みんなが運動場に出て、これから出発ということになったとき、空から大きなヘリコプターが何機も下りてきて、一部のヘリがいきなり発砲してきた。ヘリから軍服を着た男たちが銃を構えながら降りてきて、みんなを拘束しはじめた。僕も後ろ手に手錠をかけられて、連れて行かれそうになった。このまま連れて行かれたら、たぶん強制労働とかさせられるのだ。

 僕は隙をついて、その場から逃げ出した。後ろから発砲してきたが、運良く弾は当たらなかった。夢中で走って、運動場のそばにあるくぼ地に飛び込んだ。そのくぼ地の下には、さらにもう一段低くなったところがあって、かなりの段差があったものの、思い切って飛び降りた。どうも最近、死を目前にする内容の夢が続く。
 最近、眠っている間に見た夢をよく覚えているのはなぜだろうと考えてみた。多分、寝る前にやっている瞑想が関係しているのではないかと思っている。瞑想と言っても、意識的に特別な作業をしているわけではなく、ただ暗闇に座って目を瞑っているだけなのだが。意識を集中するとか、何かを想像するというものではない。たまに、実験的に意識を操作してみることはある。何をどう操作するかというのは言葉では非常に表現し難いのだが。

 心がざわついているときは、いつまでも頭が勝手に連想を繰り返して、昼間の出来事や自分の願望などがとりとめもなく湧き出てくる。うまくいくと、頭の雑音は静まって、外の気配がリアルに感じられたり、後頭部あたりのどこか一点に意識が収束していき、肉体感覚が希薄になった状態を味わうことができたりする。そういう時は、心の深い部分に入り込んでいるような、心の芯を捉えているような感覚がある。

 そういう感覚に何か意味があるのかどうかは分からないが、その感覚の先に何があるのかということには興味があるし、今まで味わったことのない意識の状態が生まれるのも面白い。ただ、若干寝不足気味になるので日中は眠い。やりすぎには注意が必要かもしれない。
 朝の情報番組で、「おひとりさま」と呼ばれる女性のライフスタイルを紹介していた。
「おひとりさま向上委員会」

 「おひとりさま」とは、”人間として当たり前の個が確立できていて、一人の時間も楽しく豊かに過ごせる大人の女性”ということらしい。その「おひとりさま」としての過ごし方について、番組では豪華なホテルでの宿泊・朝食、一人で過ごすランチに適したお店、一人でバーに入った時の振る舞いなどについて説明していた。

 言いたいことはわかるような気もするが、正直、失笑を禁じえなかった。内面的な人間の在り方などという話は一切なく、すべて形なのである。「一人の時間の過ごし方」と言えば片付けられる内容に、「おひとりさま」という名前と定義を与え、何か新しい生き方であるかのように仕立て上げただけのものではないのだろうか。

 人間として当たり前の個を確立するというのは、誰かの定義に従ってふるまうことなのだろうか?「おひとりさま」という肩書きと定義に自分を同化させることが、個の確立なのだろうか?それが「大人の女性」なのだろうか?形だけの行動パターンにアイデンティティを求めるというのは、いかにも浅はかで、幼稚ではないか。

 こういった、目新しさだけの定義に群がるのは、皮肉にも「幼稚な女性」と相場が決まっているものだ。