夢を見た。韓国に旅行に行って、射撃場で拳銃を撃っていた。そこで、なんだかわからないが、料金をぼったくられたような気がする。

それからあっという間に日本へ戻り、紙漉きの体験コーナーで何か作業をしていたのだが、そこにいた指導員みたいな人の正体が悪の秘密結社の幹部で、その体験コーナーに来た人は秘密結社に取り込まれてしまうというような話だった。細かい内容は忘れてしまった。
 物質、精神、魂という区別は、究極の現実においては存在しない。思考は、科学が捉えられる範囲のものを物質と呼び、感覚が捉えられる範囲ものを精神と呼び、どちらにも属さないものを魂と呼ぶ。そうした区別を作ったのは言葉であって、もともとどこにも区別はなく、物質・精神・魂はひとつの存在である。

 ハードウェアがなければ、ソフトウェアの存在に意味はない。目的がなければ、ハード・ソフトともに存在価値はない。目的と、手段と、手順。そのうちのどれが欠けても、残ったものの存在価値はなくなる。さらに、目的も、手段も、手順も、言葉が作り出した便宜上の区別でしかない。あるのは単一の過程だ。物質でも、精神でも、魂でもない。

 言葉にすると難しいなぁ・・・
 覆い隠すから闇になる。

 人は誰しも、心の中に「好ましくないもの」を隠し持っている。倫理に反する願望、苦痛を伴う感情、消してしまいたい記憶。それら自体が闇なのではない。それを覆い隠すから闇になるのだ。

 闇に葬り去ろうとせず、白日の下にさらしてしまえば、「好ましくないもの」は、光の下でその正体を明かすだろう。闇がなければ恐れる必要はない。人は闇を恐れているのではなく、自ら作り出した闇が明かされることを恐れているのだ。
 岐阜県中津川市で、同市の老人保健施設事務長が、親族6人を殺傷し、自らも自殺を図るという事件があった。その後の回復で事務長は動機について話し始めたのだが、その動機というのが「何もかもいやになった」とのことらしい。

 「何もかもいやになった」のには、何か理由があるはずだ。何もかもいやになっただけで自分の娘家族まで殺そうとするのはおかしい。もちろん、殺人を犯すからにはどこかおかしくなっているのだろうが。

 傍目には何の問題もなく、幸せで成功しているように見えても、その裏側で大きな闇が膨れ上がっていたということなのだろうか。「魔が差す」という言葉があるが、この事務長の「魔」はかなり大きかったようだ。