アウトサイダーの本棚 -5ページ目

アウトサイダーの本棚

活字メディアを中心としたレビュー


アウトサイダーの本棚-猪木
2009年、文春文庫

「レスラーの役目は勝つことではなく、彼に期待されている身振りを正確に果たすことだ」(『神話作用』6ページ)

これはロラン・バルトの言葉である。「彼に期待されている身振り」とは、ヒールなりベビーフェイスなりの「らしさ」を意味する。「期待」に沿ってシナリオが書かれ、レスラーは身体でストーリーを表現する。

つまるところ、プロレスはショーである。だが1976年のアントニオ猪木は、異種格闘技戦を実行することで、プロレスとリアルファイトの境界を意図的に曖昧化した。戦争映画を撮っていた映画監督が、本当に戦争を始めるような異常さである。

本書は、そんな異常さの背景を丹念に記述している。ジャイアント馬場率いる全日本プロレスが一流だとすれば、アントニオ猪木の新日本プロレスは二流だった。NWAとのコネクションを使って、海外の有名レスラーを招聘できると全日本に対して、新日本は小粒な選手が奮闘する地味な団体だった。

しかし二流に甘んじることができなかった猪木は、一発逆転の差別化を図る。猪木は「プロレスはショーである」という絶対的なテーゼを揺さぶりにかかる。そして言う。「レスラーは最強である」と。

そもそも最強云々の話が出るところからおかしいのである。ショーなんだから。しかし猪木は真顔で最強を語り、異種格闘技戦を通してそれを証明しようとする。それが1976年の4戦である。相手は、ウィリアム・ルスカ、モハメッド・アリ、パク・ソンナン、アクラム・ペールワン。

それぞれの試合は、いずれもショーとしてお膳立てされていた。しかし様々な事情から、いずれもリアル・ファイト(に近いもの)になった。結果、「世紀の凡戦」と評されたアリ戦や(猪木はリングに寝転んでパンチをよけながら、アリの足を蹴り続けた)、目に指を入れたり噛みついたりというパク・ソンナン、アクラム・ペールワン戦のように、ショーとしては失敗の試合となった。

特にアリ戦は、あらゆる意味で異常である。アリの高額なファイトマネーによって、新日本プロレスは10億近い借金を抱え、1981年のタイガーマスク・ブームまで経営不振が続く。試合自体も当時は決して評価が高くなかった(現在では「名勝負」と語られることもある)。

経営を傾け、評価を落とすことでもやる。明らかにおかしい。発端は「最強」を証明し、全日本プロレスと差別化を図ることだったのかもしれない。だが重要なのは、目的論的には猪木の行動を説明することができないということだ。「最強」を語る猪木の背景には、合理性やセオリーを無視できるある種の「狂気」を強く感じる。

この本に関連して、著者インタビュー や、元『ゴング』編集長、金沢克彦の『子殺し:猪木と新日本プロレスの10年戦争』を挙げておく。併せて読むことで、猪木の異常性をより理解できるだろう。