「美の鑑賞はあくまでも主体的な心眼によらなければならない」
これは、徒然草の中で兼好が説いている美の鑑賞法のひとつだが、
ここに日本の日本らしい生き様が存在するように思う。
今、ぼくたちは満開の桜を見て宴に酔い、
好きな人と相思相愛になる事で幸せの絶頂を感じ、
祭りの神輿が通れば、見なければ損とばかりに押し合いへし合い・・・。
別にこういう生き方が間違ってるということではないが、
これではあまりにもストレートで想像性が欠如してるんじゃないかと思うのだ。
肉眼より心眼。
これは散り行く桜が美しいと言うのではない。
いつでも心の銀幕に自分自身が能動的に描き上げた景色があるという事。
でも、目を閉じて心の中に様々な花や月の情景を自由に描けるだろうか。
結局は、そこに知識や教養が必要になってくるという事だ。
決して物事の最盛期にだけとらわれてはいけない。
最盛に向かう始めと最盛を過ぎた終わりの方がより味わい深いものであり、
これら全てをトータルしてひとつの美となる。
自分自身、もっともっと自己啓発を高め、
もうひとつ奥深いところへの成長を目指さないといけないなと思う。
今からは、心の豊かさが最も大切になってくると思うんだ。