花まんま | return-of-cd125tのブログ

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連休最後の日に、久々に、車で15分くらいのところにある大型スーパー内で映画を観た。
 

こてこての大阪弁で、気取りなく肩のこらない、少しだけミステリアスな映画だった。

大阪弁だと、どんなシリアスな状況であってもギャグで、取り繕いまぎらわすようなところがある。暗くないのだ。

よく出来たストーリの映画だった。歳をとったせいか涙が出そうな場面もあったが、ついに、涙腺の潰れた私の目から涙があふれることはなかった。
不幸だった兄弟が幸せになるというのは、良いことだ。不幸のままでは映画にならない。
この映画の暗さを消し去る明るさは、原作者の朱川湊人、本人のサクセスストーリーから来ている。でも、この世はこの映画を飾るミステリーを驚くまでもなく不思議なもので、そんなことは日常にあふれている。

 

ところで、同じ関西圏に生まれ住んできた嫁は、ギャグの一つも通用しない堅物で、私の結婚生活というものは、必ずしも幸せと言うほどのものでもなかった。

それでも、世の中良く出来たもので、私のようなぶっきらぼうで、将来の生活設計など微塵も出来ない、その日暮らし的な男には分に過ぎた嫁で、神の配分なのかとも思う。

世の中ギャグだけで暮らして行けるような甘いところではない。それは吉本興業のお笑い番組の中だけなのだ。

 

で、嫁が亡くなったら私は地磁気を失った地球のようなもので宇宙をさまようしかなくなる。今でさえ、さっき顔を洗ったかどうかの記憶が曖昧なものになりつつある。これだから、前世の記憶など覚えているはずなどないのが当たり前だのクラッカー。