先日、このテレビ番組を見ていたら某大手ハウスメーカーのコマーシャルに、我が故郷の町興しの映像が流れていた。
ああ、あれはあそこだ、懐かしい風景だなと見ていたら、なんと保育園の頃から高校まで一緒だった、私の家から一山越えた所に住むH君が、たくさんの幼稚園児を前に、柑橘畑で、海と島をバックに何やら子供らに見学説明をやっていた。
大手ハウスメーカーのコマーシャルに出演だから、ギャラも相当なもんだろうなとつまらぬことを考えたが、そんなことはどうでもいい。
小学生の頃に彼の家に一度行ったことがあるが、大きな海に面した立派な家で、軒下にツバメの巣があった。開墾農家のにわか作りでセメン瓦の私の家とは違って、どっしりとした作りだった。
おそらく昔からこの地に何代か前に住む地主なのだろう。それにこの近辺にはH姓の家が多いのは、ここから分かれた親戚なのだろう。そんな多くの分家を束ねる本家の頭領に生まれたのだから、子供の頃からの期待は大きく、暗黙の責任感のようなものを託されてきたかもしれない。
今は落ちぶれたとは言え、イタリアはローマ帝国の発祥の地、地形は、よく似ているものの私の故郷のような泥臭い、閉鎖的な気質はイタリア人にはないのか、陽気で、年をとっても仲間たちがテーブルを囲んで和気あいあいで語らう風景というのは羨ましい。日本と同じく敗戦国なのに、いつまでも敗戦に囚われている日本人とは歴史も世界観も違う。ともかく歴史が長いのだ。
それでも故郷はイタリアにはない良いところがあるのかもしれないが、家族も兄弟もいなくなった今、帰ったとしても心は閑散としたものだろう。