渡辺恒雄 | return-of-cd125tのブログ

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 こいつほど戦後、白人連合体制を擁護し、日本に君臨してきた売国奴はいない。いや、戦後ばかりか、連合国の旧植民地体制をも支持してきたと同じことだ。

 

そしてこの男が持つ思想の広報に携わり日本保守を先導してきたのが櫻井よしこだ。

 

日本軍の戦争目的は帝国政府声明文にある如く、白色人種の東洋制覇、これを解放するというものであった。
 

一方、連合国側の戦争目的は東南アジア植民地の死守が目的であり、現地人の奴隷状態の維持存続、シナ、満州利権の獲得が最大の目的だった。

それで、日本軍は負けたのかといえば、そうではない。連合国の本土上陸へとストーリーは続く。日本軍の意思としては降伏という選択肢はなかったし、本土上陸を手ぐすねして待っていたというのが本当のところだ。

 

天皇の終戦命令を飲むことは軍人にとっては断腸の思いで、クーデターさえ起きかねない状況だったのだ。

日本軍の軍事力というのは連合国を撃退、殲滅するほどの戦力は十分保持していたということが戦後判明した。

天皇の終戦命令には、それなりの道理があった。天皇は原爆投下に恐れおののいて終戦を決めたわけではない。決定的だったのは連合国によるB29の無差別攻撃、さらに原爆という民間人虐殺が連合国の戦争目的とへ変化したことがある。

もし、本当に連合国の戦況が有利に運んでいたのならば、B29や原爆投下の必要はなかっただろう。
あえてそういう、後世へのアメリカに禍根を残す戦争犯罪に手を染めたのは、日本人を人間とは考えていなかったためなのだろう。何せ、日本と同盟国のドイツ、イタリア人の強制収容ということはなく、日本人だけが収容されたということは歴然とした人種差別からであった。それならば、日本はなおさら本土決戦をすべきだった。
 

終戦前の連合国の船舶は大半が特攻により撃破され、上陸不可能であったという。


硫黄島や沖縄で散々な目にあった連合国が、日本本土に上陸した場合のシュミレーションでは日本軍は圧倒的な勝利を確信していた。でも、それは旧軍人たちは、公にはしていない。それは終戦決定を下した天皇陛下への配慮からである。

太平洋上で戦死した多くの兵士の犠牲によって、日本本土まで連合国をおびき出すことに成功した日本軍は戦争を継続すべきだった。それににより、連合国は壊滅的打撃を受けたに違いない。

さらにシナ大陸はまだ、依然として日本の手の中にあった。終戦がなければ満州国からの脱出者たちの悲劇も、ロシアの横暴も防げたはずである。これでは多くの兵士はまるで無駄死にしたも同然である。

あの時、徹底抗戦をしていれば、今の戦勝国ずらしたアメリカも英国、ロシアもなかった。そして今のように他国に侮られる日本もなかった。なんとも中途半端な終戦であったと言わざるを得ない。

 

本土決戦をやっていれば、その後の戦勝国体制自体ないだろうし、世界中に内戦を作り出し、混乱をまき散らすアメリカはなかったと思う。日本のあの方向転換は間違いだった。

戦後、お花畑で培養された石破などというバカは生まれようがなかったし、私のごときつまらない者も、今とは違う世界観を持てたかもしれない。

 

とにかく、終戦という決断で、身の程を知らぬ馬鹿で間抜けな侵略国家日本が原爆の威力に慄き、アメリカの科学技術力の前に完膚なきまでに叩かれ、敗れ去ったという誤った認識を世界に与えてしまった。

安易な終戦宣言により、東京裁判がそういうシナリオとしてアメリカに演出され、利用されたのである。

国体の温存と引き換えに日本は魂を抜かれてしまった。で、国体というのは名ばかりで、アメリカは天皇をおだて人間天皇としてしまった。

三島由紀夫は、人間になってしまった天皇に幻滅し、自衛隊に決起を促し本来の国体に回帰させようとしたのである。しかし、時すでに遅し、日本に武士はいなくなっていた。

東京裁判をいまさら覆させることなどできるはずは無い。次の戦争で勝つしかないのであるが、正義を悪にされたまま容認し、経済だけに甘んじ、それだけが人生、国家目的の、自己主張しない日本人というのはあまりにも虚しい。