蒙古来襲で、以降日本は異民族の国になっていたの、話 | return-of-cd125tのブログ

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 大東亜戦争(軍国主義)を否定するのならば、鎌倉時代の武士の時代も否定しなければならない。もし、鎌倉武士たちが九州に集結し、モンゴル軍と戦わなければ、今頃、日本という国は存在していない。そして今頃、日本人というのはおおよそ,漢人化した混血日本人がわずかに残るだけの日本になっていただろう。さしずめ今の韓国北朝鮮と似た民族が、屯(たむろ)する国になっていたのかもしれない。

 

さらに悪いのは、近代に至り、そのシナもやがて白人列強に国土を蹂躙されアジア全地域は二度と有色人種の手に戻ることなく、白人化されていたと思う。南北アメリカがされたのと同じだ。それほど遠い時代ではない。

 

それでよかったと考えるのが大東亜戦争否定派なのである。これを阻止したのが大東亜戦争であることに間違いない。そう考えると軍国主義の一体どこが悪いのだと言いたくなる。日本よ、よくやったというしかない。これを良しとしない今の日本人は白人たちによる奴隷化でも構わなかったと言っているようなものである。

 

白人列強は最終段階として白人化世界を妨げる日本を駆逐しようと企んだものが大東亜戦争前の世界情勢である。

 

こう考えると蒙古襲来で負けていれば、それ以降の日本の文化も伝統はもちろんないだろうが、それ以前あった平安、奈良時代さえ抹殺されていただろう。日本の歴史の連続性を言うのならば、武士の末裔のやった大東亜戦争を否定してしまえば、禿山歴史でしか残らないのだ。

 

白人歴史観に立脚する日本の歴史家など、この世から消えてしまえ。歴史家たちは時代というものを時計の時間と同じように刻まれると考えているが、その量ではないのだ。質として考えれば、その歴史の質は量として考えなくてはならない。時間など、有ってないようなものだ。

 

人類というものが進化しているという錯覚がそうさせるのだろう。戦争がいつの時代でも終わらないのはそういうことなのだ。人類の歴史はストーリーでしかない。生まれて死んでゆく過程なのだろうと思う。