今の日本人の圧倒的多数が、あの戦争は間違っていたと思っている。
三島由紀夫は大東亜戦争肯定の旗手として死んだ。三島のこの気持ちを日本人の多くがまだ持っていたのならば、今のような日本にはなっていなかっただろう。
子供のころのテレビドラマのハリマオがいた時代には、そういう気持ちが日本人にはまだ健在だった。それが、オリンピックが終わり、テレビで中国の文化大革命を毎日のように放映され、中学時代には北山修らの似非平和主義者のフォークソング時代、反戦歌時代となり、ソビエト共産党に先導された東大などの学生たちが共産主義革命を起こそうとしていた。
安保阻止はソビエト赤軍の指令によるもので、学生たちは、それに踊らされていた。アメリカにとっても、三島のような大東亜戦争肯定するものが復活することよりも、あの程度の幼稚な学生運動で、日本社会がかっての軍国日本を否定し、アメリカの犯罪を追及されることを逃れるには好都合な時期でもあった。
市ヶ谷の駐屯地の三島の演説にヤジを飛ばしていた自衛隊員も公務員的ガードマンでしかなく、去勢された軍人たちだったのだ。
そういう時代がずれ込んできたのが平成、令和時代なのだろう。
今の日本の、この体たらくの根源は大東亜戦争否定にあるのだ。国家ぐるみの自虐史観では、ろくな政治家しか出てこないのは自明だ。