日本国存亡の危機はアジアの存亡の危機でもあった | return-of-cd125tのブログ

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 もしあの時日本が開戦の決断をしていなければ今の日本はなかっただろう。三島由紀夫の言う、東洋の一画に富裕で抜け目のない一国があるだけ、にも至ってはいないだろう。あの日本の全身全霊を賭けた戦いが世界を変えたのである。ところが戦後の政治家はそのことが理解できなかった。戦後復興しても尚、大東亜戦争の総括というものを怠って来た付けが現在の日本を作っているのだ。日本とアジア存亡の危機というものがあの時、確かに存在していたということさへ忘れ去られてしまった。あの時の戦争と言うのは明治維新以上の世界維新でもあったことに間違いはない。私たちの父や母が、その世界史上、まれで偉大な歴史地点にいたことを思えば戦慄さえ覚える。白人の世界制覇を阻止できたということは、あの戦争の大きな成果であった。日本が本当に負けていたのならば、今でも白人国家が世界を席巻していたことは間違いないのである。日本は負けて勝ったのだ。でなければ今の日本の発展は説明できないし、大航海時代以来の白人の横暴が留まるはずも理由もなかったのだ。あの人種が日本人のようにお人好しで、黙っていて人種平等を認めるはずは無いという認識が日本人にはない。その甘い認識が平和ボケ日本人を育て上げてきた。アジアの解放がなければ日本の存続もなかったことは確かで、このことは日本人の、江戸末期以来の命題でもあった。何で、大東亜戦争が悪い戦争であったであろうか。大東亜戦争についての言及で最悪なのがコミンテルン陰謀論やユダヤ陰謀論である。彼らこそ、歴史の見誤りをした大東亜戦争否定論者たちであり自虐論者たちでもある。見っともない、自国の歴史を作れない連中だ。この人の番組はいつ聞いても飽きない。天才的な人は多くの場合、変人、奇人が多いが変人だ。世俗的だが変に権威主義でアメリカ軍に招聘されたということでプライドがバカ高く、態度も横柄で嫌われ者を演じている。おそらくこれは演技なのだろう。この人のアジア解放論というのはどうのよと言うところも私のように頭の悪い人間が言うのもなんだが、超、頭の良い人が言うのだから本当のような気もする。