葬式 人生の楽園 | return-of-cd125tのブログ

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 この年になると、何回も誰かの亡くなって行く姿を見てきた。最近は家族葬が増えたのか、あまり知らせは無くなって来た。誰でも、いつかは自分の順番が来ると分かっていても、そんなことは自分に縁がないものと遠くに押しやるのだろうが、あの人も死んだ、この人も死んだという話を聞くと段々と自分の身に迫って来るのをひしひしと感じる。私と同年代とか上下の世代でも、がんを宣告されながら、脳梗塞を患いながら、70を過ぎて、なお仕事を続けている。そんなことを目撃すると、テレビでやっている人生の楽園なんてものは大抵の人には縁のないものだと思ってしまう。そんな人生の楽園暮らしをやっている人たちも数年もすればやがてお迎えが来るか認知症で施設送りで、その楽しさもやがて終えざるを得なくなる。どのみち人間というものに永遠の楽園というものはない。あるとすれば向こうの世界にしかないのだ。そういうことを考えrば苦労だけのような父母の人生にもやっと休息の時が来たのだと思い、親孝行のなかった私の後悔も幾分、暖和される。

 

去年の8月の早朝に、隣のMさんが老後の遊び場の納屋で倒れて、奥さんの、今救急車を呼んでいるからね!という声だけが聞こえる納屋の方を見ると共に、救急車のピポピポという音が聞こえたと同時に隊員たちが家に入り応急処置をしているのを後目に、無用なおせっかいをしてもと思い出勤をした私だが、それでよかったのかどうかわからない。ご主人は、長年バス会社に勤務して、悠々自適な年金生活を羨ましく思っていたのだが、その後、主人の声を聞くこともなく早一年以上がたってしまった。奥さんが一人出かけるときにたまに挨拶をするだけで、その後の詳しいことは聞かないでいる。それでも定年後の人生の楽園を、ひと時でも満喫されていたのだと思う。