仕事を終え、誰もいない家に、ただいまと、独り言を言いながら玄関を開ける。この季節になると家の中は真っ暗闇。誰も待つ者はいない。こんな生活がもう3年以上続いたとは時の経つのは早い。それでも若い時のたった2年間ではあったが、先の見えない失業期の一人暮らしを思えば、家は建てることもできたし、食うにも困らない。盲目の若い頃には二度と戻りたくはない。こんな私でも、人並みに家族も持てた。鉄は熱いうちに打てとはよく言うが、私は27歳になるまで一度もつよくは打たれたことがない、田舎の貧乏ボンボン。
転機と言ってよいのか、27歳以降の10年間の私は、これでもかという言うほど叩かれ、鋼とは言えないまでも、なまくら鉄からは幾分ましになったような気がする。人生にはさまざまなスタイルがあるようだが、私の場合、軽くすんなりとはいかなかった。兄弟でさえ、その人生の形は大きく違う。私の兄などは割りと自由気ままに生き、身なりも常に気を使い、スマートに浮世を流して52歳の時に何の未練もなく、あっさりと逝ってしまった。
この現実の世界は同じものではなく、人によって、まるで違うのだ。同じように見えてはいるが次元も空間も違うところに住んでいる。おそらく同じように見えているだけでそれぞれ錯覚を共有しているだけだ。