犯人は孤独な41歳。哀れな犯人だ。似非平和主義者や親中利権屋たちにサンドバック状態に打たれ続け、さらに病魔が追い打ちをかけ、名運尽きようとしていた安倍氏に彼は留めをさした。さぞや、安倍氏を嫌う勢力は歓喜の声を上げて拍手喝采したであろう。
大人になりきれず、子供のままに成長した41歳男が社会に取り残された恨みを、超スポットライトを浴び、世界的影響力を持つ人物を殺害して、その惨めで不遇な半生のアイデンティティーを埋め、その時間を取り戻そうとしたのだろうか?
幼いころに失った父親の不在がいつまでも彼の心の空虚を埋めることはなかった。安倍氏の年齢は犯人の死んだ父親と同年代で、最近の小粒な政治家の中では珍しく群を抜いた日本における代表的人物は彼の父親を代替する人として最適な人物だった。
構ってもらえなかった死んだ父親への復讐なのか? 男の子というのは父親がいなくなれば母親を守るという本能を持っている。その守るべき母親が宗教団体に取られてしまった。その宗教に関係していたと思われる、或は犯人の増幅された思い違いで安倍氏が彼のファザーコンプレックスの解消のターゲットにされたとしても不思議はない。
この事件が暗殺かどうか? 暗殺を何者かの指令によるものなら暗殺なのだろうが、おそらくこれは単独犯行で、犯人の勝手な思い込みから発したものだろう。これを言論弾圧、封殺、民主主義への非道な挑戦というのは間違いだ。
早くも、この事件を陰謀論者たちは背後に何かある、闇の力が働いたなどと、お決まりの自説に取り込もうと躍起になっている。保守層にも左翼にもこのことが共通している。
官僚主導の政治から、国民の手に取り戻そうとする安倍氏が邪魔で、財務省を代表とする各省庁のバックにいる闇の勢力に洗脳されたヒットマンに謀殺されたとか、自民党、公明党をこの選挙を有利に運ばせるために安倍氏を犠牲にし、弔い合戦を仕組んだというものなどだ。どこまでも彼らは想像力を膨らませる。