父親が開墾した果樹園はもう今では草木に覆われて山に帰っているだろうことは分かっている。都会に出て50年という歳月が過ぎた。特に大切な友人というものもいない、世間の狭い空間が残っているだけだろう。親戚もいないわけではないが、ただ知人というもの、いや、それ以下のしがらみがあるというだけだ。特別、会いたい人もいない。どこかで誰かにあえばそれなりの愛想はできるだろうが、心は寂しいものだろう。父母と暮らした18年というのが長かったのか短いものだったのかわからないが、縁あってあの二人の間に生まれた私は幸運だったのだろうと思う。絶景の海と山に囲まれて、貧しいが幸せな日々でもあったと思う。でもあれは幻だったのだ。ナイーブで傷つきやすい、すぐに泣いてた頃の自分が愛おしい。こんな自分にどんな値打ちがあるのかどうかわからないが、どうにかこうにか生かされたいるようだ。意志薄弱で、雲をつかむような私が、これまで生きてこられた世界というものも不思議としか言いようがない。おそらく、自分でない自分が私をどこかに導こうとしているのだろう。そう考えるのも悪くはない。