自分の国の歴史に少しでも興味のない人というのは、いくら勉学に優れていたり、金儲けが上手であったりしても、それだけで自分の人生楽しみというものを半減させ無意味なものにしている。それに、良い家柄の出だと、言って自慢しようが唯のうぬぼれの人生で終わるようなものだ。
国というものは、ただ、税金を取る機関で、自分たちを支配しているというような、共産党的概念でしかとらえられない人たちというものが今の日本には多すぎる。特にNHK,朝日新聞、毎日新聞など共産党系マスコミに属する人などだ。ひいては、戦後から日本の教育界を牛耳ってきた教師集団がそうだ。
戦後の日本人がどうして、このような被害者意識的を持つような全体主義な国家になったのかと言えば、やはり大東亜戦争の敗戦後遺症のようなものが大きいのだろう。どう見てもこれが正常な国のあり方とは思えない。
日本人というのは、特に極端な方向に流れるようなところがる。
戦前、あれほど高揚した大東亜戦争の鬼畜米英のスローガンだけでなく八紘一宇、アジアの独立という精神は敗戦とともにあっさりと何処へともなく撤回、忘却の彼方へと追いやり、親白人国家に早変わりした。
この変わり身の早さは軍部というよりも、むしろ国民側にあった。戦後、多くの国民が軍部が強制した戦争だったというのだが、それは国民の声に押された戦争であったことに間違いはない。聖戦の意識が大勢を占めていた。世界の情勢から考えても、あながち、それは間違いではなかった。
だったら、敗戦であったとしても、それを貫けばよかったのだが、いつの間にか侵略戦争というまでに大東亜戦争の精神を貶められ、ゆがめられても平気な民族になってしまった。ここまで行くと、自虐というものも相当なもので国家はもちろん、民族としてのプライドまで捨ててしまったことになる。
戦後の日本が今のような日本のようになったのは、それ等未成熟な民族性が原因だろうと思う。それにしても、ここまで変わり身の早い民族性を持つ日本は敗戦した方がよかったのだ。もし日本が勝っていたとすれば、あの当時の国民意識では勝利に酔い、増長し天にまで上っていたかもしれない。
ではあるものの、自民党のような経済だけを優先する政党に追従して、被害者意識だけを増殖させてきたのはどう見ても、日本人の国家観の欠如、歴史観の欠如にあるとしか言いようがない。