今日、目覚める前に、夢うつつの中で、考えていた自分がいた。大袈裟だが、絶体絶命の窮地に立たされたことが何度もあるが、それが、死ぬほどのものでもない小さなものだったから、今でも生き永らえているのかもしれない。三島由紀夫があのような劇場的な死に方をしたのは、彼が役者であり、有名な小説家だからだ。普通の生活者はあんな死に方はしない。生活第一だからだ。大体、文学者というものは生活というのは第二番めくらいだから、芥川とか太宰のような人ばかりだと、自殺者ばかり増えてどうしょうもない。私のように、生まれてこの方、積極的人生というものに無縁の者に、元々、夢のようなものもない。だから、夢は破れたりしないし、それで絶望して死ぬようなこともない。努力ということもしたことはない。途方もない怠け者だ。それでも、人生というのは今のところ、不完全で危ういながら、成っているのだから不思議でしょうがない。やはりこの世は夢うつつに違いない。