大東亜戦争考 | return-of-cd125tのブログ

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     大東亜戦争をけん引、指導してきたのは旧武士階級の人たちだ。日露、日清戦争を断行したのも旧日本武士の末裔達だった。元寇襲来で日本を守ったのも武士たちだった。彼らがいなければ、今頃日本は大陸のどこかの国のものになっていて、日本人は奴隷となっていただろう。天皇も殺され、今の日本などあるはずもない。

 

江戸時代の武士は総人口のうちの、およそ7%しかいなかったというのだから、腰を抜かしてしまう。日露、日清で活躍したのも多くは旧武士なのだ。この時にも彼ら武士の末裔達がいなければ、日本はロシア領になっていたか、西洋、アメリカによって割譲されていた。武士がいなければ日本はあの時点で、その存在は完全に消えていた。

 

 大東亜戦争はするべきではなかったという人たちがいるのだが、激戦を勝ち抜いてきた武士たちが、英米蘭の日本に対する一方的要求を、はいそうですかと簡単に受け入れるわけなどないのである。無謀であろうが、なんであろうが、あの戦争は必然であった。しかも、江戸末期の侍の子孫たちはは大東亜戦争時にはおよそ3倍に増えていたのだ。今日言われる悲壮感などは武士(軍人)にはなかった。アメリカ何するものぞ、やる気満々の空気しかなかった。

 

大東亜戦争で軍人以外の、一般人が招集されたというのも、武士たちの危機感が頂点に達していたからだ。もはや、関ヶ原の戦いではないのだ、肯定的にとらえれば、自分たちの国は自分で守れということを教えたのが赤紙だ。国民であるということの踏み絵でもあったのだ。日本人、総武士化だった。どう控えめに見ても、あの戦争に至る経緯が日本側に非があるとは思えない。

 

私の先祖は明確には武士というわけではないだろうが、わずかでもその血を引いていれば幸いだ。ただの百姓である可能性も高いのだが。

 

戦争反対と騒いでいる多くの人たちがいるが、日露でも、大東亜戦争でも、その人たちと同種の日本人が戦争に賛成、断固として戦うべきだと軍部を突き上げていたのだ。恐らく、その人たちの中に武士の末裔である人たちは少数であっただろうと思う。関ヶ原の戦いをおにぎり弁当を持って高みの見物をしていた人たちだ。江戸時代でいえば、武士以外の93%の日本人が、いつの時代でも高みの見物をしていることになる。

マスコミというものがその最たるものだし、その報道、見解を鵜呑みにする愚民が93%ということになる。

 

その愚民たちが蒙古からの侵略やロシアの日本侵略から守れたのかというと、否だろう。僅か、7%の武士に守られて生存して来たということを知らない日本人のなんと多いことか。