日本の保守派のやってることと言えば東京裁判を逸脱しないところで、防戦一方の本を書いたり、モノを言っている、一種の空気抜きの役目を担っているだけだ。
東京裁判を覆そうという気はさらない。それをやってしまえば彼らの生計は立たなくなる。なるたっけ、故意か,非故意か、彼らは物事の本質を隠し、いつまでも自虐保守達の心をつかんでおきたい。そのための、戦時中の日本の若き特攻や屍となった兵士たちの哀れさと、勇敢さを称えるのだが、ただ日本を守るために戦ってくれたという、わけのわからないことで、あの戦争を説明しょうとするものの、肝心の日本の戦争目的はなんであったかを誰も説明できない。
大東亜戦争を満洲国、ABCD包囲網、中国侵略、真珠湾攻撃、原爆投下、敗戦、東京裁判という単純な西洋史観で捉えているのだ。ここに、今の日本人のいかにも無気力な敗戦土民というものを戦後の保守派たちが日教組先生と同レベルで演出、先導してきたかということだ。
終戦後、絞首刑にされても不思議ではなかった天皇陛下が全国巡行された。国民は天皇とともに終戦の悔し涙以上に熱狂的に天皇陛下を迎えた。こんなことは敗戦国ではあり得ないことだった。戦後の日本の復興は、こうしたまだ戦争継続の意欲と不屈の精神を持った日本人がいたからこそ可能だった。戦後の明るさは進駐軍により民主化されたからでもなく、自由にものが言えるようになったからではない。余力を残した終戦だったからだ。日本人は本土決戦を経済に転嫁し、再生を成し遂げたようなものだ。
それもこれも、わが身を顧みず、肉弾に散った特攻兵たちが連合国に日本の恐ろしさを見せつけてくれたからだ。無駄死にだったというバカ者の顔が見てみたいものだ。あまりの日本軍の反撃に原爆使用の道しか連合国には残されていなかったといのが本当のところだ。国際法違反の爆弾で、自国兵を死なせないために、広島、長崎の一般市民を虐殺、疲弊していた連合国は一時も早く、戦争を終わらせたかった。
戦後、アメリカはこの合理的大量虐殺を正当化するための工作機関として、日本の最高学府、東大を日本人洗脳の出先機関に利用したのだ。東大に馬鹿で無能な人材が多いのはこのことが原因だ。記憶力と受験脳だけ発達していればよいだけの召使ロボットで、いてくればアメリカは満足だった。
この東大閥が日本の官僚の中枢である限り日本は無機質な機械的国家であり続けるだろう。つまりは、未来も夢もないということだ。