大東亜戦争考 | return-of-cd125tのブログ

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1938年の映画。大東亜戦争、勃発の3年前の作品。

世にいう、泥沼化した日中戦争という、戦後まかり通った、嘘ではない進シナ紛争の記録的映画だ。

 

日本主導の大東亜共栄圏構想が気に入らない中華民国の蒋介石はアジアを裏切り、またしても中華帝国を打ち立て、皇帝に君臨しようと、白人たちに手を借りた、大陸からの日本排除の企てが、あの紛争の原因だ。

 

漢人の気質からすれば中華の名のごとく、シナこそが世界の中心という長い間の、彼らの民族のDNAにあるのだから、漢人を入れた大東亜共栄圏という日本人の見通しは甘すぎたのだろう。今の中共の姿が漢人の正体ということだ。

 

この映画の29分辺りから隊長の訓示に当時の日本の立場を昭和天皇が、この紛争の元を明確に説明しておられる。そして、いよいよ、英米への宣戦布告の開戦の詔勅へとつながって行く。日本の志向する大東亜共栄圏構想確立こそが日本の究極の戦争目的であったことは間違いない。終戦の天皇陛下のお言葉に、この戦争目的が完遂できなかったことの謝意をも国民に述べておられるのだ。

 

それが、今日、日本の軍国主義が企てたシナへの侵略と石油資源欲しさのための東南アジアへの侵略だったという、まるででたらめな戦争史として東大歴史閥は確定させているのだ。これほど、史実から逸脱した大東亜戦争観をありがたく容認できる日本人とは何なのだろう。

 

あれほど日本軍に痛めつけられ、損害を与えられた連合連合国が何故、日本の天皇を抹殺、絞首刑にできなかったのかといえば、単純明快だ。それを実行すれば、日本人の英米への徹底抗戦は確実に行われる、という恐れを特攻兵たちの肉弾戦から彼らが学んでいたからだ。

決して、日本人がうつろいやすい民族ということではないのだ。決して特攻が無意味で無駄な死ということではなかったのだ。

 

あの戦争について肯定も否定もしないが、日本の歴史は他国に強制されるべきではないのが当たり前だ。しかるに今の大東亜戦争史は連合国側の戦史でしかない。これを阿呆のように受け入れている日本は痴呆、認知症状態なのだろう。国の亡びる前兆のようなものなのかもしれない。かって、清朝がアヘン漬にされたように、日本は次第に浸食されつつある。自国民が自国の歴史を認識できない国は確実に滅びるのは必然だ。