mm篩にかけられる人生とは 竹内浩三 | return-of-cd125tのブログ

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 戦争にしても、災害にしても、病気にしても自然は人間を篩(ふるい)にかける不思議なものだ。

 

   先日、竹内浩三という才能ある和歌山の文学青年が、東亜戦争前の徴兵の苦悶や、営後の軍隊生活を書いた日記のドキュメントをNHKの番組で見た。

 

 私のように、大きな夢を抱くこともなく、何に対しても情熱を燃やすこともなく、、次の日が来れば、昨日のことは忘れ、何も長続きしない、馬鹿な人生しか送ってこなかった者にとり、戦死しという、あっけない、非常な短い一生であっても、後にその才能が評価された幸運はうらやむべきものだ。いかに、成功したという人でも、その晩年を汚すことの多い世の中で、その墓に自分の詩文まで刻んでもらい、生きた証を残す栄誉は決して不幸とは言えないだろう。ひょうひょうと生きて、その書いた詩の通り死んでいったのは深い、運命の死である。こういうことを思いめぐらすと死後の世界はやはりあるのだろうと思う。

 

 彼の人生を戦争の犠牲者という平和主義者のレベルで語ることは、この、面白い男に対する冒とくである。

 

大体、このような人が戦死せず、生還したとしても、口先八兆で詐欺師になるか、その処世術で小成に甘んじるつまらぬ文学者になっていただけだろうし、この人の子供に生まれたならば、子にしても、少し心許ない父親だろう。戦争が彼を大文学者にした。裕福な家に生まれたものの早くに両親を失った。だけども、この人の姉さんが良かった。偉い姉さんでよかった。

 

 

                                             三ツ星さん           竹内浩三作

 

      私のすきな三ツ星さん 私はいつも元気です いつも私を見てください 私は諸君に見れれても はずかしくない生活を 

      

      力一ぱいやりまする 私の好きなカシオペヤ 私は諸君が大好きだ いつでも三人きっちりと ならんですすむ星さんよ

 

      生きることはたのしいね ほんとに私は生きている