日本共産党の馬鹿 | return-of-cd125tのブログ

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企業内で労働運動を育んできた階級闘争だとか、ブルジョア、労働者階級などとマルクス教に侵された仕事をしたくない馬鹿どもが日本を無茶苦茶にした。そもそも、日本において労働者と資本家だけしかいないわけはないのだ。徒手空拳から企業を立ち上げた人たちがいるから雇用も生まれるのだということがわからないのだ。彼らの頭は白黒しか認知出来ないハゲタカの知能だ。

 戦後、教育界が彼らに牛耳られ、共産主義思想は安保闘争以降、じわじわと日本人の中に浸透していった。ところが、田中角栄による日中国交回復から向こう、日本のODAで下地ができた中国の鄧小平の改革開放政策により、安い賃金で仕事をしてくれるシナ共産党に大抵の企業はなびいてゆき、日本共産党のたかりにあってきた資本家たちは日本から逃げて行った。この結果、単純労働で賃金を稼いでいた人たちは働き口を失い、頭の良い高級労働者たちと、仕事を失ったあまり能力のない人たちを差別化する二極化が進んできたのだ。日本共産党が一番の戦犯のはずなのだが、日本共産党はこれに口をつぐむ。そして、今、定年を迎えつつある、或いは定年を迎え二階建ての公的年金を悪びれもせず受け取り、悠々自適の、日教組職員の責任も免れることは出来ない。労働運動の悪影響で、当たり前のように高い給与を要求する日本の労働者たちは起業家に見捨てられたのだが、それを先導した彼らは今、ぬくぬくと幸せの絶頂だろう。

日本共産党も自民党をはじめとする野党も日本悪者論ではその方向を一にしているのだから若者に元気など出るわけがない。殺人犯の親を持ったのと同じことだ。何しろ、最高学府の頂点にある東大が、その頭なのだから救いようのない日本ということになる。まさに、怒髪冠を衝くとはこのことだ。