天皇に対する拒否反応 | return-of-cd125tのブログ

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 多かれ少なかれ、日本人には天皇に対する、アレルギー反応は、どこかにある。右翼の殆どがそれを共有している。いつでも、共産思想に転じることが出来るのである。誰かが天皇批判をすれば過剰にそれに反応し、宣伝カーで日本中を駆け回る。やはり、敗戦史観のトラウマが、彼らを過剰な国粋主義に駆り立てる効果を持つのだ。三島の憂国史観などはその典型だ。彼は、勝手に日本が敗戦国と自分の思想上に位置付けているのだ。冷静に近代史を俯瞰できなかった、1人の文学者が、腹切りという、武士道パフォーマンスを演じただけなのかも知れない。あるいは、それ以上の何かがあったのかは誰も知ることなど出来ない。日本に文学者の多くが共産主義思想の洗礼を受け天皇に対する拒否反応を持ち、反日本である。。それは、日本文学の死とも言える。あらゆる彼らの作品の基準が日本敗戦自虐史観の、土壌から生まれる。これらが日本の思想界に大きな影響力を持つようになった。新体詩などの殆どが読むに堪えない、反戦と反天皇を比喩として謳っている。大江健三郎という文学者の本が飛ぶように売れた。産経新聞、朝日からも支持を受けてきた司馬遼太郎などもその範疇に居る。大東亜戦争を否定しながら、天皇の存在を肯定する日本人とは一体何なのだ。 このような、ごまかしで、70有余年の間、日本人はやってきた。天皇肯定と大東亜戦争否定は両立しないのである。ところが、先帝と今上はこれを、自ら実現しておられる。完全に日本人としてのアイデンティティーを放棄しているとしか思えない。天皇批判などしてはいけないと言うが、昔から天皇に対する批判は寛容であった。独裁者でなかったことは明らかである。明治維新には日本人は天皇を前面に押し出した。それは、日本神道が持つ、八紘一宇という思想でしか白人植民地主義に対抗するには不可能と思われたからだ。日本の軍隊が前面に出ればそれは、侵略戦争とののしられても仕方ないが、そうではなかった。東条英機先生はそのことを良く知っておられた。司馬遼太郎でさえ、日露、日清戦争までは正しかったと言っているのだ。軍国主義国家、日本をだ。 で、敗戦したから大東亜戦争は悪い戦争だったと、難癖付けているのだ。彼は、西洋の白人優位思想と、人種差別、植民地主義を糾弾するでもなく、上手く時流に乗り、彼の生存と運の良さが、特攻や玉砕者のお陰だという事に気付かず、彼の戦後を謳歌していたのだ。一介の大衆文学者が深い洞察力もなく、日本文学会のドンとして君臨し続けてきたことは日本の不幸であった。 日本は帝国声明文という、帝国議会閣議決定により、天皇の裁可の降りた宣戦布告文を錦の御旗に掲げ、白人植民地主義国家に、果敢に挑んだのだ。多くの犠牲者や戦死者を出したが、あの戦争無くしては、今のように繁栄した日本はなく、白人優位主義は終わってはいない。