日本の人口 | return-of-cd125tのブログ

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 明治初期には3000万人しかいなかった日本人が大東亜戦争前には9000万人まで膨れ上がった。一家族に10人の子供が当たり前の大家族の社会になった。このようなことは日本有史以来初めてのことだった。しかし、江戸末期には世界のほとんどの地域は白人の植民地支配下に置かれ、日本が彼らの餌食になるのは時間の問題であった。富国強兵で白人植民地主義国家に対抗するには3000万の人口では余りにも少なすぎたために、産めよ増やせよということになる。大東亜戦争において、日本は遂に、白人植民地主義国家の世界支配の野望に打ち勝ち、大東亜戦争の戦争目的である江戸末期以来の悲願、アジア解放をやってのけた。植民地主義国家の雄、大英帝国の覇権にとどめを刺したのだ。そして、日本や世界の被植民地国家は、白人による植民地化からの恐怖から解き離れたのだ。日本民族が世界を一変させたと言っても過言ではない。現在の日本の人口の多さは、大東亜戦争における兵員確保のための人口増の名残りであったともいえる。1億人を超える人口というのは、どうも多過ぎる。大東亜戦争が終わり、目的を達した以上、必要が亡くなった余剰人口は減っても良いと思う。最近の、結婚しない男女の増加や、同性愛者の増殖は人口を減らそうとする自然の摂理とも言えそうだ。なのに、年寄りが年金のために人口を増やせと言ったり、外国人労働者や移民を受け入れろと言うのも本末転倒な話である。役割を終え、そこそこ人生を享楽した老人は次の世代の者のために、なるべく、延命などせず,年金掛け金の元を取り戻し、暫くして、早く旅立ってやることだ。、それでも、元気で長生きなら、若者を頼らず、医者にも頼らず、自活するこったろう。ますます、増え続ける生活保護者や介護保険サービスの社会保障費は若い勤労者には払いきれない。労組の労働者賃金上げろで、企業は安い労働者を求め、海外に拠点を移し、結果、日本でこれまで、流れ作業の単純労働者の仕事は無くなってしまった。労組や共産主義者のいう平等主義が個々人の歴然とした能力差があるにもかかわらず、単純労働者に対しても同じ賃金を要求したために、企業はつぶれ、海外に工場を移転するしか生き残る道は無くなった。労働者のための組合は自分で自分の首を絞めるという愚行で、彼らの支持者の職を間接的に奪う事に成ってしまった。この悪循環は続き、今日の疲弊したかような日本がある。これは、安倍政治が悪いわけではない。悪いのは無能力者に過大な賃金を要求する共産主義者がのさばっているからだ。安い賃金でで働くのが嫌なら、そこから、這い上がることもできる日本だった。だけど、この共産主義思想というのは、自分が貧乏しているから、お前も貧乏しろという、やっかみの思想であり、何も生み出さない。日本人に知らず知らずに埋め込まれた、この平等思想が貧富の差を拡大していることに、気付かない。その反面、電力会社などの親方日の丸会社の労働組合員たちは高給と有給、週休二日制の上に、胡坐をかいているのだ。教師を始めとする多くの公務員たちも同じこと、労働組合とは、そのように働かずして金を得ようとする団体なのだ。すべてが、そうだとは言わないが。戦前の日本の方が、まだ実力主義であったのかもしれない。今の日本が、アメリカ的な実力、能力主義になったことで、貧富の格差が拡大しているというのは間違位だと思う。