戦後の、偽りの憲法には主権が天皇から国民へ移譲されたことが記されているのだが、国民はその使い方を知らない。それらは戦後、共産党に狡猾に利用されてきただけのような気がする。共産党は2600年続いてきた天皇のを、その座から引きずり降ろそうと躍起になって来た。今でもその方針は変わらない。私の周りを見回しても、あんなもの無くしたらいいのだ,とか公言する日本人が、年齢を問わず多くいる。戦前生まれの者にも多くいる。宗教団体などを見ても天皇を第一義に奉ずるものは皆無で日本神道は置き去りにされている。どうも、日本人の考え方は、戦争に敗れた天皇は要らない、我々を解放してくれたアメリカを神と崇めているだけなのではないか。あくまでも、日本人の主体性は感じられない。やはり、日本人の習性から言うと、何か大きな力で統治されなければ不安なのかとも思う。かと言って、2600年培ってきた伝統や文化を持つ日本人が無味乾燥とした、ここ最近発案された、インスタント思想である共産主義思想になびくはずもない。その思想は一時的だが抑圧されたロシア農奴だけに受け入れられたのだが、その独裁制と粛清主義によって本家のロシアでは崩壊した。共産主義なんてものは日本人の知識人の西洋かぶれからはじまったもので、その思想が日本の置かれた現状と、歴史的経過を経た民族に適用可なのか、どうかということは、思考はされていなかったし、その運動家の多くが、科学脳を持たない文系の人達だった。共産主義が日本に紹介されたのは明治初期だろうと思うが、この時代は日本は、世界に張り巡らされた、白人の植民地支配の中でも、数少ない有色人種の危うい独立国でしかなかった。白人に植民地化されないために必死であったのだ。軍備にその国家予算が費やされるのは仕方なかった。だから、国民は貧しかったのだ。そういう日本の置かれた日本の貧しさの現象面だけを見た金持ちの、インテリ学生たちが夢のような理想主義の共産主義にかぶれ、憑りつかれ、、日本の足を引っ張っていたのだ。かと言って、彼らの日本国内での秘密活動は単独で行う発想も資金もなかった。それらは、すべてソビエト共産党からの指令を受けいたからこそ可能で、自主性のないものであった。そして、戦後も彼らはアメリカの庇護の元、或いはソビエト共産党の秘密資金を得て増殖し続けた。その共産義によって労働組合が強化され、一般労働者の地位は向上したではないかと言うのだが、江戸時代のあの生き生きとした時代を何と見る。共産主義の本質、唯物主義に 毒された日教組教育によって、戦前の美徳は完全に日本から消え去ろうとしている。 それら、共産主義者たちに入り込む隙を与えたのは、大東亜戦争は負け戦で終わり、神国日本は消滅した、という日本人自身の誤解から始まった。天皇陛下は終戦の詔勅で、日本は負けたとは仰ってはおられない。関西弁でよく言う、あんたには負けるわ!と言う表現がぴったりくると思うのだが、戦争というものを逸脱したアメリカによる、原爆投下が、昭和陛下の終戦、降伏、停戦をご決断させたのだ。この時点で、日本はアメリカに勝ったのだ。というのは、ハーグ条約は有色人種には適用されないという、アメリカの身勝手と傲慢は、有色人種である、生意気な日本人殲滅が、アメリカの戦争目的であったという事を鮮明にし、それらが人種差別から発したものであり、ヒットラーと同じ精神レベルのことをアメリカが、まやかしの正義の裏で、世界同時進行で進めようとしていた、という事を戦後、アメリカ人の中の博愛主義者にも知らしめることとなった。 共産主義者がいうような資本家と労働者という範疇に入らない、白人優越主義と植民地主義、奴隷主義による、圧倒的で、決定的、徹底的なヒエラルキーがアジア・、アフリカ・アメリカにさえもには存在していたという事を、白人であるマルクスは無視し、労働者と資本家と言う、単純な二元論を展開してきた唯の、阿保な学者なのだ。そのような、理論ともいえないようなものが世界を惑わせたのは、マルクス主義がキリスト教から精神性と神と言う概念を取り去っただけのものという、キリスト教の亜流だからこそ、世界に蔓延することになった。ただでさえ、恐ろしいキリスト教がそのベールを脱いだのだ。