どうも左翼や日本の平和主義者という人達の視点がわからない。 | return-of-cd125tのブログ

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大東亜戦争を断罪するのが左翼や平和主義者の常だが、彼らなら戦前の日本をどうしたのだろう。天皇制を悪の根源として抹殺してしまいたい彼らなのだが、2000年以上続く日本の歴史は天皇の歴史ともいえる。奈良の都も、今日の都も、各地にある名所、旧跡も天皇文化由来のものである。これらの歴史を彼らはすべて、悪であったから抹殺せよというのが、今日の共産主義に支配された日教組教育の思想の根本にあるのだ。優秀な理系の生徒でさえこれに洗脳され、あんなもの無くせ、と平気で言う。文系は文系で、雅を讃えながら、京を愛し、江戸文化のすばらしさを強調するのだが唯一、日本の汚点が大東亜戦争だと、消してしまいたい過去としてしか捉えない。または、生まれ変わった日本教育勅語的なものは排除され、反省すべき日本というアメリカ目線での日本でしかない戦後の日本人はこういう薄っぺらい思想のもとで生きてきた。何故このような空虚で中身のない日本人が生まれて来たのかというと、やはり、そういう教育がされてきたからだろう。人間なんてものは教育の如何によってどうにでもなるものだ。日本が大東亜戦争に突っ込んでいったのは戦前の軍国主義教育がそうさせたのだというのだが。戦争に至ったのは外的要因が大きかっただけだ。ああせざるをえなかっただけで、非科学的だったという批判は的外れだ。竹槍だってゲリラ戦になれば十分に戦えることはベトナム戦争で証明された。しかも、ベトナム軍は日本式の鍛えられ方で強く、アメリカ軍を圧倒し、遂に彼らを追い出した。 左翼や平和主義者の平和は奴隷根性でしかない。シナ、アメリカ、ロシア、朝鮮の言いなりになれという事ことでしかない。大東亜戦争前夜の状況、連合国白人に傅けば(かしずけ)良かったと言っているのだ。そこに、彼らの言う、平和や自由、平等があると思っているのだから、これほどおめでたい話はない。誰か、自由と平等は成り立たないといったが、少なくとも日本には太古より天皇制共産主義(安濃豊博士造語)が続いてきたわけで、西洋的、シナ的独裁者は現れなかった。日教組が信奉するマルクス主義化の独裁者が如何に多くいたかは周知の事実だ。ヨーロッパ式民主主義の下でさえ植民地を作り、奴隷制を敷いていたのだから、民主主義と言うものがどれほど偽善的なものかという事がわかろうというものだ。しかし、世界に類を見ないよく誇るべき、2600年国家を大東亜戦争以降は断絶した歴史しかない、分断された思想の下に日本人は、よくも平気でいられるものだ。そこには、名誉も何もない空っぽの日本があるだけだという事さえ気付かない。