戦後、多くの日本兵が敗戦と信じ込んだ大東亜戦争。 戦前、あれほど、一億玉砕と叫び、数々の特攻兵を戦場に送り出し、硫黄島、沖縄、東南アジア、太平洋での死闘を繰り広げた日本が、たった二発の原爆投下で、あっさりと怯んだとは思えない。それが、ある日、突然、戦闘止め!の天皇陛下の、お言葉で、死を覚悟の日本人の心に及ぼした空虚は計り知れない。あの空虚を抱いたまま日本人は戦後を生きてきた。あの時の死を超越した高揚感から一気に、敗戦自虐の世界に投げ込まれたのだから仕方は無いのだが、戦後の経済復興と世界第二位の経済大国になったのはアジア解放のスローガンの下に、死をも顧みずに戦った、英霊たちと自分たちの功績があったからこそなのだ、という事を知っている日本人は、一体どのくらいいたのだろうか。戦後、あの戦争は悪だった、恥ずべき戦争だった、負けるとわかっていながら、なぜだとか、あの戦争は何だったのだろうか、だとか謎めいたことを言うのだが、ズバリ、アジア解放戦争以外の何物でもない。日本の戦後の繁栄は、あの戦争の副産物だ。しかし、この戦争で最も世界に影響を及ぼしたのは白人達の人種差別主義を止めさせたことだ。決定的だったのはアメリカによる実験的、民族虐殺の原子爆弾投下と言う愚行であった。この事はアメリカ国民の威信を大きく傷つけた。パールハーバー奇襲への報復だと、彼らはうそぶくのだが、その些細な事を引き合いに出さなければならないほど、アメリカ白人の心はダメージを受けているのだ。もはや、彼らは、これ以降、あからさまな人種差別ができなくなった。それは昭和天皇陛下が本土決戦断念と引き換えに、世界にもたらした福音だ 。 しかし、アメリカが原爆投下の戦争犯罪という汚名は拭い去ることは出来ないのだ。おそらく、アメリカは20**あたりに手痛い打撃を受けることになるだろう。第二のパールハーバーにならないことを祈る。その時は日本にも災禍が及ぶかもしれないが、私はもうこの世にはいないだろう。