貧民窟に生まれて、大富豪になったり、何代にもわたっても使い切れないほどの財を持つ貴族に生まれても生まれつき不具で、日の当たらないベットの上で一生を過ごす者もいる。天は俗世にお構いなく差別的だ。そうとは考えられない人は余程鈍感か、今まで大きな不運を経験したことのない人たちだ。それらは白人であろうと有色人種であろうと被差別日本人だろうが天によって平等に配分されるのだ。それは社会が政治が悪いからではないところにある。国家にも運がある。2000年以上続く日本はそれ相応の運を持っている国と言えるだろう。そんな国に生まれてきた日本人もまた、運が良いといえる。国家転覆を志向している、働くことの嫌いな共産党員も年金を得、医療にも困ることはなく、生活保護で住居も保証されている。こんないい国がどこにあるのか。社会を混乱させて自分達の首を絞めるのが落ちと言うものだ。マルクス教祖の共産主義思想の大きな間違いは、プロレタリアート革命により個人の運まで左右できるという錯覚をその信者に信じさせたことだ。まさにキリスト教の亜流と言われる由縁だ。今時、貧しく米も買えない共産党幹部がどこにいるというのだ。逆に豪邸に住んでいたりする。彼らもまた運があるのだ。ただし、それらは悪運と言っていいものだ。中国人10億のうち1億人が富豪だというのだからすごい。彼らも勝ち組なのだろう。富の配分もくそもない共産主義者たちの、これが現実だ。キリスト教の本義は貧しくとも一つのパンをみんなで分け合い、日々の糧を与えたもう神に感謝の祈りを捧げ頂くという誠に謙虚な思想なのだが、これをマルクスは富の配分として、神を向こうに追いやり、パン(物質)の奪取により人間は幸福になれるという論理を唯物偽科学として世の中に広めてしまったものだから、人間の本性丸出しの権力闘争ありの、粛清ありの地獄絵をこの世に現出してしまった。戦後、日本で広まった平等の概念はこのマルクスのいう唯物思想を日本共産党が日教組を使い子供たちに洗脳したものだ。そこには、親も子も家族という伝統的なものをすべて排除した唯物観念しかない。このような教育を受けた子供達が、大人になって大企業の中枢として活躍しているのだ。富の配分をせよと、マルクス主義者が叫ぶのだが、彼ら高級企業戦士たちは君ら共産主義者の産物ではないのか。本末転倒とはこのことだ。