言論の自由と日本国憲法を大東亜解放戦争論から見る | return-of-cd125tのブログ

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NHKのラジオアーカイブスのゴメンテイター 保坂正康がまたまた、ツッコミどころ満載の憲法草案時の話題を提供してくれた。現行憲法もどきの草案に携わっつた金森徳次郎のインタビューを引用して、この憲法が如何に国民の言論の自由を保証した素晴らしいものかと礼讃していた。この憲法で国民一人一人が自分たち自身の考えを自由に発言できるようになったというのだ。果たしてそうなのか?大東亜戦争という呼称を太平洋戦争という訳のわからない呼び方に強制されたのはなぜだ。太平洋戦争という意味不明な呼び方で日本が掲げたアジア解放という目的を曖昧にした洗脳工作を保坂は言論の自由と言うらしい。保坂の言う言論の自由というのは日本共産党の言論の自由と呼ぶべきであって、GHQによる言論封殺と言い換えなければならない。戦後の日本は彼の今東光が看破した一億総白痴という言葉に集約される。第一、戦前に我々有色人種に言論の自由などあったのか?日本が積極的終戦(敗戦ではなくハーグ条約に違反したアメリカの民間人虐殺の原爆投下で、戦いのリングにタオルを投げ入れた昭和天皇陛下による)を選びポツダム宣言を受諾した後に、人種差別主義のアメリカや白人連合国が日本人に言論の自由を与えたと言うのも何とも間の抜けたお人よしの保阪正康だ。それほど連合国が寛大であれば日本が人種平等を訴えて、大東亜戦争に突き進むはずはなかっだろう。当時、アメリカにさえ黒人や有色人種に言論の自由のなかった時代に、随分アメリカは日本に優しかったことになる。まず、自分の国の言論の自由が先だろう。大きなお世話だったと言わざるを得ない。詰る所、言論の自由をカモフラージュに日本人は洗脳されていただけなのだ。そして、言論の自由はいまや在日朝鮮人や同和利権団体の最大の武器になっている。一般日本人が小さくなってひそひそつぶやき、言論はNHK朝日 毎日 日本共産党 日教組 シナ資本に独占されているのだ。テレビしか見ない日本人の愚民化はまだ続いているのだ。