英国王室 | return-of-cd125tのブログ

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昭和天皇陛下が欧州はじめ 英国を訪れたのは日英同盟が破棄される前年だった。1902年日英同盟が結ばれた。英国は満州の権益をロシアから守るために、日本はロシアの南下を防ぎたいという利害が一致したからなのだが、日本としては予想外の 英国からの同盟申し込みだった。かって どの国とも同盟を組もうとしなかった英国が(栄光ある孤立)を止めて 初めて同盟したのが日本だった。それほどに日本の実力を認めていたのだ。日露戦争前までは  日本に好意的であったアメリカは 幻想とも言える 日本に対する脅威を その勝利に感じ始めた。当時 植民地らしきものを あまり持たないアメリカは日本の満州利権に横やりを入れて来た。それらを手に入れるために様々な画策と計略を実行し始めた。日本人のアメリカ移民に対する排斥運動と迫害 白船事件に見られる脅し シナ人をけしかけての暴動 さらに ワシントン条約による日本への軍縮の企みの成功 そして唯一の日本の生命線であった日英同盟の解消にまんまと成功したのである。日本が日中戦争に突入したのもアメリカの傀儡シナ軍との戦いが始まりであった。。思えば日英同盟時代 1902年(明治25年)から1921年までは平和な時代であった。この同盟解消が その後 英国がアジアにおける植民地のほとんどを失う発端となるとは誰にも予言出来なかった。それは 大東亜戦争の原因とアジア解放戦争の幕開けともなった。そして 英国にとっては大英帝国の終衰という皮肉な結果を生んだのだ。ところで このことを 英国王室はどのように思っているのだろうか 興味深い問いだ。二千年以上も続く国との同盟を反故にしたのだ それなりの報いを受けてしまったというのも当然かも知れない。英国もまた敗戦国でもあるのだ。その領土の大半を失って戦勝国とは言えないだろう。そして おそらく この事は 教科書には載せてはいけない史実なのだ。ただ 英国のインテリと財を失った没落貴族だけが知っている秘密だ。ベニシアさんなども大東亜戦争で迷惑を被ったイギリス貴族の末裔の一人だろう。でも それはそれで 幸せそうだけどね ベニシア