大久野島へは小学4年だったか遠足で船に乗って行きました。どんな島だったか ほとんど忘れてしまったが レンガ造りの建物が廃墟となっているところを歩いた記憶と その山の上で ばかでかいにぎりめしを食べた思い出と 当時 台湾バナナでなくフィリピン産バナナが安く出回り始めた頃で、不味かったことを思い出した。周りは海ばかりだが景色のよい所だった。海から上陸して少し歩くと なだらかな平地が続いていて こんな小さな島にしては水の豊富に出そうなところだと思った。ロビンソン クルーソーや15少年漂流記に出てきそうな島という感じだった。海水浴場もあったようだ。毒ガスとは無縁に思える この島に毒ガス製造工場があったとは しかし 今から 推測すると なんのために この島に遠足だったのかと勘ぐりたくもなる。多分GhQの指導のもとに教育委員会の指導要領の一環としての見学教育だったのだろうと思う。日本はこんな殺人兵器を製造していたのだよと まだ軟らかい少年少女の脳にきざみ込むために。しかし アメリカ軍も占領後 こんな有毒ガスの入ったドラム缶を近海に廃棄したというのだから荒っぽいやり方だ。正義の軍隊がこんなことをするのだろうかと疑問だ。8月の終戦の日の頃は ネガティブキャンペーンとして たいていのテレビ番組で日本はこんな悪いことをしたというのをやる。そして お人よしな日本人は そうだったのかーとなるのだ。最近 ネットで調べてみても 殆どが報道番組と同じ目線の見解が大勢を占める。地図から消された島とか言っているが ばかな奴だ。そんなもの地図に載せたら真っ先に爆撃されるだろうが。ここで すこし まともな意見と思われるコメントがあったので それぞれ考察して頂きたい。
- 「大前提として、第一次大戦で毒ガスが大量使用され悲惨な結果を招いたことから、戦間期、毒ガスの使用は禁止されていた。だが、現代の科学兵器と同じで、使えない兵器とするためには相互確証破壊が必要になる。使用できる毒ガスを製造 備蓄し敵の毒ガス使用に対する防護策をとらねば敵軍が毒ガスを使用したときに やられっぱなしになるからだ。であるがゆえに、戦間期 列強軍はすべて毒ガスを製造備蓄し、その使用と敵軍の使用に対する防護策を準備していた。毒ガスの製造 備蓄は秘密でもなんでもない。戦争犯罪でもない。左翼はいつも、彼らから考える、「無知な大衆」を扇動しょうとする。だから嘘をつくのだ。」- 以上2チャンから抜粋
あと -「米国とソ連に抗議してみろー なんというかー」というのもありました。
平和は日本の中だけだ 先祖が偉大過ぎて 今の日本人には もう手が届かない 世界は今も昔も騙し合いの戦争状態だ。永遠の平和などない。死だけが安住をもたらすのみ それまで この地獄世をともかくも生きよというのが 宇宙の意思なのだろう。神などというちっぽけなものの意思でもない。