ドライブ・マイ・カー(2021) | Bokuと映画  Chackn'sBlog

Bokuと映画  Chackn'sBlog

おきにいり映画、 地元鹿児島のこと、 70年代、80年代のおもしろかったこと、 
趣味の話、 最近の出来事など。。

村上春樹の小説を濱口竜介監督が映画化

 

第94回アカデミー賞の国際長編映画賞受賞作の日本映画となる

 

濱口監督の力量を様々と見せつけた印象のある、、

 

 

大傑作である

 

 

「ドライブ・マイ・カー」

 

 

 

 

2021年公開 / 179分 / 日本 (米題:Drive my car)

 

監督    濱口竜介
脚本    濱口竜介/大江崇允
原作    村上春樹「ドライブ・マイ・カー」など(『女のいない男たち』 文藝春秋刊収録)
製作    中西一雄/山本晃久
撮影 四宮秀俊
音楽 石橋英子
編集 山崎梓
製作会社    『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 

キャスト

西島秀俊/三浦透子/霧島れいか/パク・ユリム/ジン・デヨン/ソニア・ユアン/ペリー・ディゾン/アン・フィテ/安部聡子/岡田将生他

 

「ハッピーアワー」「寝ても覚めても」の濱口竜介監督が主演に西島秀俊を迎えて村上春樹の同名短編を映画化し、カンヌ国際映画祭でみごと脚本賞に輝いた人間ドラマ。秘密を残して急死した妻に対する喪失感を抱えたままの舞台俳優兼演出家の男が、専属ドライバーとなった孤独な女性と行動をともにしていく中で次第に自らの運命と向き合っていく姿を緊張感あふれる筆致で描いていく。共演は三浦透子、霧島れいか、岡田将生。
 舞台俳優で演出家の家福悠介は、妻の音と穏やかで満ち足りた日々を送っていた。しかしある日、思いつめた様子で“今晩話がしたい”と言っていた音は、家福が帰宅する前にくも膜下出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまう。2年後、『ワーニャ伯父さん』の演出を任された演劇祭に参加するため愛車で広島へ向かう家福は、寡黙な女性みさきを専属ドライバーとして雇うことに。やがて様々な国から集まったオーディション参加者の中に、かつて音から紹介されたことのある俳優・高槻耕史の姿を見つける家福だったが…。(allcinemaより抜粋)

 

 

HP:

 

 

 

Wikipedia:ドライブ・マイ・カー

 

 

*****

 

 

※ネタバレ必至 ご了承をば。

 

 

主人公、家福は演劇役者である

 

車は、

 

サーブの900ターボ クーペハッチバック

 

車メーカーSAAB(サーブ)はスウェーデンのメーカーで

 

2016年にSAABの名は消滅している

 

私の友人がずっとこの車に乗っていた

 

久々に車見せてもらった時に

 

「まだサーブに乗ってるんだ」と聞いたら

 

「なかなかコレ壊れないんだよね」

 

と、言っていた

 

 

 

劇中でも結構な年式古い車ではあるがきれいに乗っている

 

家福は演出家でもあり、広島で演劇を長期滞在し開催することになった

 

広島へも運転して東京からマイカーで来る

 

 

家福は運転中、思考をめぐらすタイプのようでわざわざ会場から宿泊場の距離も車で1時間かかるところを主催者側に依頼している

 

しかし主催者側は過去に車の事故で開催できなくなったことがあり、運転手をつけると聞かない

 

紹介された運転手はまだ若い女性だった

 

 

 

 

しぶしぶだが家福も許可するも毎日送ってもらうようになる

 

 

この映画には40分強の長いプロローグがある

 

タイトルバッグが劇中出てくるのに40分かかる

 

 

家福には妻=音=霧島れいか がいたが、

 

2年前に脳梗塞により急死している

 

その死んだ妻の声で、芝居の練習用の音声がカセットテープに入っており

 

そのテープを車中に繰り返しかけ、芝居を刷り込んでいた

 

 

家福と音は夫婦として順調そうにありながら

 

2人には闇があった

 

 

音は家福に「今夜話したい」と言った晩に倒れ帰らぬ人となる

 

 

 

 

霧島れいかさん

 

彼女の演技も素晴らしい

 

 

家福の舞台はちょっと独特で

 

様々な言語が出てくる

 

つまりは日本人の役者が日本語を話し、対話する相手はフランス語で対話する

 

観客は後ろのスクリーンの2か国の字幕で話の内容を理解する

 

演者にしてみると言葉が理解できない状態で演じないといけないので

 

本読みを何十回も繰り返し、刷り込む

 

 

広島の舞台ではオーディションでいろんな国の役者に集まってもらい

 

配役を決める

 

 

 

 

 

オーディションには台湾や韓国からも集まってくる

 

その中に日本から名の通った役者が応募してきた

 

 

 

高槻=岡田将生

 

 

彼は脚本家だった死んだ妻の若い不倫相手だった

 

彼は素行が良いほうではなく、事務所を辞めてフリーとして役者を続けていた

 

そして彼も音のことが忘れられずにいる

 

 

 

「音」は性行為のあとに

 

夢の話なのかおぼろげに物語を語りだす

 

家福は彼女の話す物語を文章にまとめ、彼女を脚本家にしたのだ。

 

 

しかし、物語は家福にだけではなく

 

高槻にも話していた

 

 

 

家福は一度、

 

高槻との不倫現場を目撃しながら

 

その場から逃げ、何事もないように装っている

 

家福はそのことを伝えると二人の関係が壊れると思い、音に言うことが出来なかったのだ

 

自分が知らないことにすれば

 

この関係は収まると思っていたのだ

 

 

 

ヤツメウナギの物語

 

音は家福には

 

不倫の現場を見られたのではないかという心情を語っているが

 

彼女は見られていたのを知っていたのだ

 

その心情を

 

高槻には伝えていたのだ

 

 

車中で対話するシーンは

 

岡田クンの見せ場である

 

後部座席の家福と高槻の対話シーンは

 

2人の会話からカメラ目線(小津式)へと変わる

 

長回しのカット

 

車は動いている

 

車の中は個人のコアな世界になりやすい

 

いわば私的空間である

 

 

この対話シーンでも車の中であることを感じずに

 

2人の対話にのめり込む

 

 

その前にドライバーの娘=みさき=三浦透子の運転技術が素晴らしく

 

「運転しているのがわからなくなるくらいだ」という

 

家福の言葉も伏線として効いている

 

 

 

 

 

みさきは寡黙な女性である

 

彼女は彼女で闇を抱えている

 

 

車で高槻を下ろした後

 

みさきは二人の会話を聞いて

 

自分のことも家福に語りだす

 

 

 

彼女が運転技術が優れているのは

 

水商売の母を繁華街まで1時間、揺れなどを気にしながら運転していたからだという

 

それも15の頃から運転していたと言う

 

 

みさきは北海道に住んでいたが

 

震災により家がつぶれてしまい

 

彼女だけが生き延びたのだ

 

 

 

2人は少し似た境遇にいた

 

しかも家福と音の二人には死んだ娘もいて

 

その娘が生きていればみさきと同じ23歳だった

 

 

家福はいつもの後部座席ではなく助手席に座り

 

2人でタバコを吸う

 

そしてサンルーフを開け、

 

煙を上へ逃がす

 

 

想う故人を弔うかのように

 

2人は火のついたタバコを夜空に灯す

 

 

 

 

 

この監督の演出の絵的センス

 

これはこのシーンだけに言えることではなく

 

全てにおいて洋画的なセンスがある

 

それは音楽にしてもそうだ

 

極力曲のインサートは控えておき

 

効果的にジャジーなサントラが聞こえだす

 

 

それから「みさき」は震災孤児でもある

 

北海道の地滑りで家と家族を亡くしてしまうが

 

全ての震災の被害を受けた人々にこの作品ではメッセージとして向けている

 

それは舞台が「ヒロシマ」であることも当てはまるし、

 

2人の抱えている後悔と自責の念にもかかり、

 

そんな人々に向け

 

ラストにメッセージを送っている

 

 

 

そのメッセージを送ってくれる人が

 

この作品のキーパーソンとなる人

 

ユナ=パク・ユリムさん

 

 

 

 

障害を持ち手話で会話する韓国人

 

オーディションに参加しそこでも手話で迫真の演技で役を勝ち取る

 

 

そして実はこの演劇祭の主催者の妻でもあった

 

贔屓目になるのを嫌がり妻であることを秘密にオーディションを受けたのだった

 

 

言語の壁を越え、手話による最後のメッセージ

 

 

 

そのシーンはここではおあずけ

 

おそらくここ数年鑑賞してきた映画の中でも

 

飛びきりの名シーンです

 

 

監督の演出も素晴らしいが

 

脚本もまた良い

 

この複雑な人間模様、

 

また劇中劇のセリフが

 

全て物語に繋がる

 

この脚本の凄いのは

 

もつれた糸をほぐしてわかるようにする話ではなく

 

糸を何本も合わせていき太い一本の「綱」となり集約されメッセージとして残す物語

 

それは高槻が永福に会った時に言った言葉、

 

「人とのめぐりあわせ」

 

が合わさりこの物語が生まれたのだ

 

 

それも

 

 

最後は芝居で何か国もの言語が飛び交うなか、

 

言葉を発せぬ「手話」で伝えることに集約させる凄さ

 

 

妻の名は「音」

 

車の中でもカセットからは「声」が発せられる

 

何事も「音」で伝えていたことが

 

最後、手話で演技し、感情だけで伝えるのに感動するのだ

 

 

そしてそれは

 

 

残された人たちへの希望のメッセージでもある

 

前を向こうということだと感じました。

 

 

 

さて、

 

長々と今回は綴りましたが

 

この作品はラストがまた意味深なんで、

 

これまた色んな考察が飛び交っています

 

 

私も観て感じ、

 

そして色んなラストの考察を読み感じたのは

 

もとから「みさき」は在日韓国人で

 

これを機に韓国へ帰ったというのがしっくりくるかなと感じました

 

 

このドライバーみさきを家福に紹介した人、

 

そして韓国手話を使い芝居するユナを引き合わせたのは

 

やはり韓国人の主催者のスタッフ、ユンスさん=ジン・デヨンでした。

 

 

 

 

 

彼は、ユナのことと同じくらいに、みさきのことを気にかけてくれていた

 

「彼女の運転はどうですか」

 

と、いつも家福に聞いていた

 

ユンスさんの家に行ったときに1匹の犬がいた

 

食事を採るときに

 

みさきはこの犬を戯れていたが

 

ラストのシーンでこの犬と一緒にいるのだ

 

もともとあの犬はみさきの犬だったのかもしれない

 

 

そして乗っている車は

 

 

赤のサーブ

 

 

 

あとは皆のご想像ってことで。

 

 

この臭わせの終わらせ方も上手いよねえ。

 

 

日本映画界に

 

これだけの作品を撮れる監督さんがいたんだと思うくらい

 

素晴らしくきれいな映画でした。

 

 

今回はこれでおしまい

 

 

 

では。

 

 

 

また。