アメンホテプ4世アメンホテプ4世(後にアクエンアテンと改名)とは、紀元前14世紀頃の古代エジプト新王国・第18王朝のファラオ(王様)である。

数千年続くエジプトの歴史において、常識を根底からひっくり返そうとした「究極の異端児」にして、世界史の授業で必ず習う強烈なキャラクターだ!

【概要】
歴代のファラオたちが「異民族をぶっ飛ばして領土拡大だ!」と体育会系のノリで頑張っていた中、彼ベクトルは完全に「内政」と「宗教」に向いていた。

当時、エジプトは多神教(たくさんの神様がいる)であり、中でもアメン神という神様がトップだった。しかし、彼は「これからはアテン神(太陽の光を放つ円盤)だけを信じなさい!」という、世界最古の一神教(的)改革をぶち上げたのである。
→2000年以上続いてきた伝統をいきなり全否定。そりゃあ周囲はドン引きである。

【前代未聞の「アマルナ革命」】
彼が起こした一連のドラスティックな改革は、後に「アマルナ革命」と呼ばれるようになる。そのヤバい内容は以下の通り。

神官の権力削り
当時、アメン神に仕える神官たちは、ファラオを凌ぐほどの権力と富を持っていた。アメンホテプ4世はこれがウザくてたまらなかった。「そうだ、アメン神の信仰を禁止すれば、あいつら無職になるじゃん!」というウルトラCを実行に移す。

名前も変えちゃう
「アメンホテプ(アメン神は満足する)」という自分の名前が嫌になり、「アクエンアテン(アテン神に有益な者)」に改名。徹底している。

首都ごと引っ越し(アケトアテン)
アメン神官たちの本拠地である首都テーベにいるのが嫌になり、何もない砂漠のど真ん中に新首都「アケトアテン(アテンの地平線)」(現在のテル・エル・アマルナ)を建設して引きこもってしまった。
→嫌いな奴らから離れるために、国費をつぎ込んで新都市を作る。スケールがでかすぎるぼっち行動である。

【特徴:ありのままを描く「アマルナ美術」】
宗教改革と並んで彼が歴史に残した巨大な功績が、美術の改革だ。

それまでのエジプト美術といえば、「横顔で、肩幅が広くて、筋肉ムキムキで、感情がない」という、ガチガチに形式張ったもの(理想化)だった。
しかし彼は、「見たまま、ありのままの姿を描け!」とアーティストたちに命じた。これが「アマルナ美術」である。

ファラオなのにビール腹?
残されたアクエンアテンの彫像は、顔が面長で顎がしゃくれ、手足は細く、お腹がポッコリ出ている。王様なのに全く盛っていない。むしろデフォルメされすぎて宇宙人みたいになっている。

ただのリア充アピール
さらに、彼が美しい妻ネフェルティティ(※古代エジプト三大美女の一人)にキスをしたり、娘たちを膝に乗せてキャッキャウフフと遊んでいるレリーフが多数作られた。
→「神のように威厳あるファラオ」ではなく、「家族を愛する一人のパパ」としての姿を公開。古代人にとってはカルチャーショック以外の何物でもなかった。

【外交の大失敗と、改革の終焉】
新首都に引きこもり、家族とアテン神への祈りに没頭するアクエンアテン。
しかし、現実世界はそんなお花畑ではなかった。

彼が内政と宗教に夢中になっている間、北の方では新進気鋭のヒッタイト帝国がミタンニ王国をボコボコにし、エジプトの同盟国や属国にまで手を伸ばしていたのだ(※前の記事参照)。
属国からの「助けて! ヒッタイトが攻めてきた!」という悲痛な手紙(アマルナ文書)が大量に届いたが、彼はこれらをほぼガン無視。結果として、エジプトはシリア方面の領土をガッツリ失うという大ポカをやらかしてしまう。

そして彼が死ぬと、抑圧されていたアメン神官たちや不満を持っていた民衆の怒りが爆発。
「あんな変な宗教やめじゃー!」と、エジプトは速攻で元のアメン神信仰(多神教)に戻ってしまった。

【余談:息子と「記憶の抹殺」】
彼の死後、王位を継いだのは、あの有名なツタンカーメン(トゥトアンクアメン)である。(※息子説・弟説などがあるが、息子説が有力)。
実はツタンカーメン、生まれた時の名前は「トゥトアンクアテン」だった。しかし、父親の宗教改革が失敗したため、政治的圧力で「アメン」に名前を戻させられてしまったのだ。不憫である。

その後、アクエンアテンの存在はエジプトの黒歴史として扱われ、記念碑から名前を削り取られ、王名表からも抹消されるという「記憶の抹殺(ダムナティオ・メモリアエ)」の刑に処された。

【まとめ(総評)】
アメンホテプ4世(アクエンアテン)とは、「強大すぎる神官の権力を打ち破るため、世界最古の一神教と写実的アートを生み出したが、時代を先取りしすぎて盛大に滑った孤独なインテリファラオ」である。

当時は「国を傾けた大異端者」として歴史から消された彼だが、皮肉なことに、打ち捨てられた首都アマルナの遺跡は後世の破壊を免れ、現代の我々に「アマルナ美術」という素晴らしい遺産を残してくれた。
「個人」という概念がなかった古代において、自らの思想と美意識を貫き通した史上初の「個人主義者」。その異質すぎる輝きは、今も古代史ファンを強烈に惹きつけている!