アルダシール1世とは、3世紀前半(紀元後224年 - 242年頃)の古代オリエントにおいて、ローマ帝国と約400年にわたってバチバチの死闘を繰り広げた超大国・ササン朝(ササン朝ペルシア)の初代建国者である。

世界史の教科書では太字で登場する、中東世界の歴史を語る上で絶対に外せない「偉大なる初代様」だ!

【概要】

当時のイラン高原からメソポタミアにかけての地域は、「アルサケス朝パルティア」という国が支配していた。しかし、この国は地方の有力者が強い力を持つ「地方分権」スタイルだったため、末期には内輪揉めでボロボロになっていた。

そこに颯爽と現れ、パルティアに引導を渡して新たな巨大帝国を打ち立てた下克上の主人公、それがアルダシール1世である。 彼はかつて栄えたアケメネス朝ペルシア(※アレクサンドロス大王に滅ぼされた国)の栄光を取り戻すべく、強力な中央集権国家を作り上げたのだ。

【歴史:成り上がりから帝国創設まで】

彼の出身は、現在のイラン南部にあるファールス地方(古代名:ペルシス)。この地を治める地方領主の家系に生まれた。

  • パルティアへの反逆 力を蓄えたアルダシールは、周辺の領主たちを次々とシバき倒して勢力を拡大。これに焦ったパルティアの王様(アルタバノス4世)が「調子に乗るな!」と討伐軍を向けてくる。

  • ホルミズドガンの戦い(紀元後224年) 両軍は激突したが、結果はアルダシールの大勝利! パルティア王を討ち取り、およそ400年続いたパルティア王国を完全に滅亡させた。 →「昨日までの上司を物理的に退場させて、今日から俺が社長(王)だ!」という鮮やかなクーデターである。

その後、彼は首都をメソポタミアの巨大都市クテシフォンに置き、自らを「シャーハンシャー(諸王の王)」と名乗った。中二病心をくすぐる最高の称号である。

【アルダシール1世のここがヤバい(特徴)】

彼がただの「喧嘩の強い成り上がり」ではなく、優秀な建国者だった理由は以下の通りだ。

  • 「神様が俺を王に選んだんだぜ」アピール(ゾロアスター教の利用) パルティア時代は宗教的に割と寛容だったが、彼はイラン古来の宗教である「ゾロアスター教」(拝火教)を国家の支柱に据えた。 イランにある「ナクシュ・イ・ルスタム」という遺跡の巨大な岩壁には、最高神アフラ・マズダーからアルダシール1世が「王権を象徴するリング」を手渡されているレリーフが彫られている。 →「俺が王になったのは神の意志だから! 逆らう奴は神罰な!」という、絶対的な権威付け(プロパガンダ)を行ったのだ。策士である。

  • ガチガチの中央集権化 パルティアの失敗(地方領主が強すぎて言うことを聞かない)から学び、国を中央からしっかりコントロールするシステムを作った。これで国の軍事力と経済力が爆上がりする。

  • VS ローマ帝国(終わらない殴り合いの始まり) 国内を固めた彼は、西の超大国・ローマ帝国(当時の皇帝はセウェルス・アレクサンデル)に喧嘩を売る。 「昔のアケメネス朝の領土(シリアとかエジプト)は全部俺たちのものだから、さっさと返せ!」と要求し、激しい戦争を繰り広げた。ローマからすれば「いきなりヤバい隣人が引っ越してきた」状態である。

【最強の息子への完璧なバトンタッチ】

一代で巨大帝国を築き上げたアルダシール1世だが、彼のさらに凄いところは「後継者育成」にも成功していた点だ。

晩年、彼は優秀な息子であるシャープール1世を共同統治者として指名し、帝王学と軍事のノウハウを徹底的に叩き込んだ。 その後を継いだシャープール1世は、親父の期待を上回る大活躍を見せ、なんとローマ皇帝(ウァレリアヌス)を戦争で生け捕りにするという、世界史に残る大金星を挙げることになる。 親父が最強の土台を作り、息子がそれを大爆発させる。理想的な王位継承の形である。

【まとめ(総評)】

アルダシール1世とは、「末期症状のパルティアにトドメを刺し、ゾロアスター教と中央集権を武器に『真のペルシア帝国』を復活させたササン朝の偉大なる初代様」である。

「国を興す」だけでなく、それを維持するためのシステム(宗教・政治・軍事)を整え、さらに次世代のチート級の息子へ無事にバトンを渡した彼の功績は計り知れない。 彼が築き上げたササン朝は、この後7世紀にイスラム帝国に滅ぼされるまで、古代オリエントの覇者として君臨し続けることになる。まさに「伝説の始まり」を体現した男、それがアルダシール1世なのだ!