がーまるちょばが魅せる、スカイツリーから落下した時のパントマイム。
人はそれを飛び降り自殺と呼ぶ。
実践しちゃったんだ的な。 こんばんは、がーまるちょばの右の人です。
さて、日本がワールドカップ出場を決めましたね。
FIFA公式日本代表応援ブログとしても喜ばしい限りです。
怒られます。 後半の44分からしか見てないし。
そっちよりも渋谷のスクランブル交差点で馬鹿騒ぎしてる映像が気になりました。
スポーツカフェからとか、日本各地からの中継は全然いいと思いますけどね。
報道ステーションでは、
「 度を越さない程度に 」 とか軽く注意を促してましたが、
テレビ中継やるなら、それ自体煽りになるから、
もっと教育的観念からキツめに言ってもいいと思うんですがね。
中継するだけで影響力あるってことを踏まえたうえで、
反面教師的、これは悪い例ですといった感じにしないと、
サッカー=ファンが悪質という式が成り立ってしまいますからね。
祭りのときとか、誕生日の時に叱られると
「 こういうつまらない大人になりたくない 」
とか子供心に思ってましたが、そういう面もあっていいと思うんですがね。
みんなそうだと思いますが、俺も例にもれず面白いことは大好きなので、
人が爆笑してる時に怒られると
「 うるせぇな、あとにしてくんねぇかな 」 くらいに思う子供でした。
口に出さない辺り、昔から俺は俺だなと思いますが。
前置きはこの辺にして、ちょいと不定期レス返しを。
前回、国語の教科書で覚えてるものは…という内容について書きましたが、
>るんるんるるんぶるるんぶるるんとか
めちゃくちゃ懐かしいですわ。 覚えてます。
いつごろ習ったのか、どんな話なのか、一切覚えてませんが、
「 るんるんるるんぶるるんぶるるん
つんつんつるんぶつるんぶつるん 」
みたいな一文があったのは覚えてます。
あと、なぜか哲学のライオンってのがあったのも同時に思い出しました。
「 僕は今、哲学してるんだ。 」
っていうセリフが印象的ですが、
全く何も考えてなさそうな、バカっぽいセリフなところが哲学的でしたね。
逆を言うとそれ以外全く覚えてませんが。
一応念のために調べたら、セリフは
「 ぼくはきょう、てつがくだった 」
でした。 記憶など所詮哲学の前にはかないません。 そういうことじゃない。
友達と、
「 僕は今日、哲学だった。 」
「 うるせぇ殺すぞ。 」
みたいな、考えようによっては哲学的なやり取りをよくしてたような気がします。
何もしてない時に言うという、哲学を完全にdisってる小粋なギャグです。
絶対そこまで考えてませんが。
そもそも哲学に関して疎いんでこの程度しか膨らませられないわけです。
ここで一発哲学ギャグをねじ込めば知的エンターテイメントとして
完璧なブログになるんですが、完全に無知を露呈する恥的ブログでしかないです。
一応大学で習ってはいたんですが、
授業が退屈すぎて逆に寝られないみたいな、何周かして伝説の授業でした。
終始生命・地球の歴史みたいな流れで、
果たしてこれは哲学なんだろうかと考えてることが一番哲学的でした。
板書も汚すぎてノート取れないし、言ってる意味は分からないし。
挙句試験は 「 ノートと教科書から出します 」 とかぬかすんで、
読めずにごまかしだらけのノートからどうやって勉強すればいいのか。
もしやその己で危機を乗り越えるそれこそ、哲学と教えたいのでは。
どうやってこの時をやり過ごすか、まさに哲学でした。
結局何も編み出されず、無の境地になるしか術はなかったわけで。
哲学のライオンが、
「 僕は今日、哲学だった。 」
という一見ボーっとした、無の境地のセリフを吐いたのには、
おそらく奴にもこんな背景があったのだろうと勝手に納得した次第です。
絶対違う。