高菜を食べる、浜崎あゆみ。
こんばんは、こういうブログです。
「 あゆ、高菜とか要らなーい 」 とか言ってそうなイメージがあるが故、
どうってことない単語でも若干シュールに思えてしまったりしまわなかったり。
今日、とある友人から電話やらメールが来て、
ブログに初めてコメントが来た!という喜ばしい報告でした。
要約すると、 「 面白いです!よかったらメールいただけませんか? 」 というもの。
(ノ∀`)アチャーって思いましたね。
腐ってもブログ歴は長いので。
あの手のスパムコメントは悲しみしか生まない。
Youtubeで、ガキの使いの 「 絶対においしい 」 シリーズを
最近よく見るんですが、コメント欄とか見ててちょっと思うことがありましてね。
まぁそれ以前にYoutubeで見てる時点でアウトですけども。
毎回一つのテーマを決めて(炊き込みご飯、たこ焼きなど)、
それに合いそうな新しい具材をそれぞれ5人が試し、試食するという企画。
当然ガキ使なんでとんでもないゲテモノが出てきたりもしますが、
中にはどう見てもハズレにしかなりそうにない物が
前評価を覆し美味しいという評価を得ていたり、
反対に絶対美味そうな物がリバースするほどマズくて阿鼻叫喚してたりと、
なかなか偶然性もあって面白いと、俺個人は思います。
バラエティ的にふざけてる部分もあるんですけど、
ある意味、創作料理の過程を極端までに屈折させて見せてるようなもんです。
結局歯止め掛けてるところを突破して、美味い物って出来ると思うんです。
最初にふぐ食った人が多分死んだように、多少のリスクはあると思うんですよ。
そこに 「 笑い 」 が入るだけで否定されるのって、果たしてどうなんでしょうね。
調理場での失敗はさすがに笑えないかもしれませんが、
多くの場合、人の失敗って笑っちゃうことが多いと思うんですよ。
「 うーわ、糞マズい! 」 って言うリアクションは鉄板でツボに入りますし。
極端な話、パイ投げとかも食い物を粗末にしてるという点では
確かに必要悪かもしれませんが、
一方でそれを投げることによって出た笑いとかは全くの 「 無駄 」 なのだろうか。
勿論食い物は食われるために生み出された物ですし、
食い物の生産者じゃないんでその辺の気持ちは分かりませんけども、
使い方によっては食うよりも元気を貰えるケースもあるとは思うんですよね。
そういう面もあるよってだけで、俺も全部肯定的じゃないですけどね。
時折度が過ぎてる場合もありますし。それはケースバイケースです。
失敗した料理も投げたものも多分破棄されるから、
その辺は無駄にしてるとは思いますけどね。
特に調理ミスとかじゃなくて、
投げたり粗末に扱って得られた笑いって卑怯な笑いだと思いますし。
確実に笑いが取れる腕があるのが絶対、かつ安易にやってはダメだと思います。
ただ、他国の事出されるとそれはどうなのと感じますけどね。
「 食えない人だっているんだぞ 」 と言う反論がよく考えられますけど、
それは関係ないと思うんですよ。
外国人があんなに休んでるのに何で日本人は休めないんだってことですし。
サバンナにはライオンが出るのに何で日本にはライオンが出ないんだって話です。
出なくていいじゃねぇか。
個人的に思うのは、その度を過ぎてないことに関するクレーム出すなら、
それにかかる費用をお前が寄付すればいいんじゃないのってことです。
明らかに費用対効果が得られてない糞みたいな番組、
例えば粗末にした食い物の対価に対して笑いが得られてない場合とか、
いくらなんでも危ないだろって場合とかは出してもいいと思いますけど。
その線引きはもっと気楽なものにしていいと俺は思うんですがね。
もっといろいろ書きたいこともありますが、話し戻しますけど、
そのYoutubeのコメント欄にも結構視聴者様が居たんで、
ちょっとそれもどうなのと思うところがありました。
あの企画は所詮バラエティで、あの内容で美味い物できてる時点で奇跡ですし、
食い物投げてるわけじゃないし、あのくらいは許してほしいなーと。
ついでに言うと多分怒られるであろうこの回も許してほしいなーと。
全然うまい事言えなかったところでこの辺で。