第三の途「憲法無用論」その弐 | 解放

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日本的革新運動

 帝國憲法を復原させるべきだ、といふ考へ方がある。それ自體は筆者も唱へた事があり、別段否定はしてゐない。然し、一つ「覆せぬ事實」のあることを無視する譯にはいかないのである。


 卽ち現行憲法に於ける「上諭」と 御 名 御 璽 とを「破〇」することなど出來ないといふことである。それらは國際法に上位せるものである。

ゆゑに筆者は、その二つのみは何としても尊く、後は無效である、といふことを唱へつゝある。或は、全面改正のかたちを採り、事實上明治憲法を復原するといふ手段も講ずるべきだ、と考へるものだが、何故茲で帝國憲法ではなく「明治憲法」と呼ぶかに就ては後述することとする。

 昭和廿一年十一月三日に公布された現行憲法の 上諭には、言ふまでもなく「帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し」とあり、

而して 御 名 御 璽 がある。この 御 名 御 璽 を否定する權限を持つ者は存在しないし、且つ存在してはならないのだ。
 

 亦た、その事實を無視して「現行憲法は改正憲法に非ず」などと論ずる者は白癡であると斷じ得るし、斯かる御仁は言語を理解する能力の缺如を疑はれても致し方あるまい。現行憲法は問答無用で「帝國憲法の改正憲法」であつて、今日只今も吾が國は大日本帝國に他ならないのである。

 然し乍ら、「帝國」は「みかどの國」ではなく「支那に於けるやうな皇帝の國」や「Empire」と混同される虞があり、帝國主義(imperialism)といふ劣れる霸道思想が聯想されかねぬゆゑ、少なくとも八十年以上前より「いづれは 大日本皇國と號するべき」といふ議論があつた。


「皇」なる漢字は、「支那にはじめに現れた王」といふ字義である。漢字は、日本人が便宜的に利用してゐる文字であるが、大和言葉の音韻は漢語のそれとは次元を異にするものである。然らば吾人は思考を漢字より切り離し、大和言葉での思考を旨とすることに努めねばならない。
 

 從つて、吾人は「大日本帝國」「大日本皇國」のいづれであつても、それを「ダイニツポンテイコク」「ダイニツポンコウコク」等と呼んではならないのだ。その漢字を目にしたならば、先づ以て「おほやまとすめらみくに」が頭に浮かぶやうにせねばならないのである。

【西洋の產物=明治憲法を含む成文憲法も亦た、皇國振りに背ける性質を
帶びる
「國體」なる語も、大和言葉ではなく、本來は「みくにぶり」と言ふべきであるが、茲では便宜的に「國體」を使用することとする。

 

 その實、國體觀念上、成文憲法自體が「國體」全體の中に在つて、所謂「近代政治」とゝもに「俗事」に當たる低次のものなのである。歐化主義者、卽ち外国禮讃者なる伊藤博文が起草した獨逸プロシア憲法の模倣たる明治憲法の「内容」は、將にそのやうなものだ。それは現行憲法と同等の「外來意識」であり、當面の閒「西洋の霸權主義に對抗する必要性」から考へられた「假のもの」に過ぎないのである。果たして必要なるがゆゑに「御 名 御 璽」を玉はつた。要するに本來の國體とは無關係であり乍らも、そこに押された「御 名 御 璽」は絕對に否定できないのである。

 而して先づは明治憲法に復するとしても、その憲法にして重大なる「不備」が在ることを認めざるを得ないのだ。

 

 卽ち 天皇に被於ては「神聖な大御位」に被在、「帶刀無用」に被在る。それは武人の爲すべきことなのである。天皇を軍人なる地位「大元帥(官名)」に貶め奉り、近代憲法下に「制限」し奉る帝國憲法も亦た、反國體的性質を帶びてゐる、と言はざるを得ない。帶刀被遊るといふことは、本來軍人たる者が代行すべきを、御自ら御刀を御手になされるのを「前提」としてゐる。明治憲法にも「玉體を不淨にさらし奉ることを前提としてゐる」といふ、斯様な誤謬があるのだ。斯るがゆゑに、大東亞戰爭後に累を及ぼし奉る結果となつた事實を、吾人は忘却してはならないのである。或は「皇軍」に關しても、皇土に在る軍は全て「おのづから」 皇軍であり、成文化されやうとされまいと、既成の事實である。それは、吾人が「息をすること」を憲法より前に行なへるのと同然であると斷言するものである。

 而して、本來憲法は疎か國際法に上位せる「おほみくらゐ」を「戰時國際法」「武力紛爭法」「國際人道法」等々の國際法の制約下に置き奉り、剰へ「軍人の地位」に貶め奉るがゆゑに發生する諸問題がある。此の恐るべき問題をなほざりにして、何ら解決策を考へずに、徒だ單に「帝國憲法復原」を唱へるやうなことがあつてはならないのだ。
 

 尤も 皇軍はいづれ正しきかたちに復されるのが道理であるが、上述せる問題を何一つとして考へずに「明治憲法復原」等を安易に唱へるやうな心持ちは、要するに〇〇を人柱にして戰爭をせよ、などといふ、大不敬の發想に繋がつて了ふ。而して日本は理窟の國に非ず「言擧げせぬこと」を本旨とする國であることを惟みるのでなければならない。
 

 從つて吾人は 大日本帝國憲法發布の敕語と 御 名 御 璽 のなされた現行憲法の上諭とを永遠に奉るべきであり、將來的には 皇國振りに合致せる慣習憲法(不文憲法)とするべきである、と愚考せるものである。