現代科学は、唯物論の終焉を告げる ② | 解放

解放

日本的革新運動

 例へば正三角形といふものが時空を超越して法則的に定められてゐるやうに、人閒の一人々々も法則的數學的に、別の次元で定められてゐるのである。
 

 宇宙全體も銀河も、或は原子や素粒子に至るまでの全てが、單純なる圖形で表現し得る正三角形と同樣に、法則的數學的に定まつてゐるのだ。それらは複雜單純の違ひがあるだけであり、時間空間を超越した領域にて固より定まつてゐるのである。

 

 謂はゞ之れが、現象世界の簡單なあらましである。而して事物が「靈的」に存する意義は別にあるのだが、それに就ては改めて記すこととしよう。

 日本人は、それを定めてゐる本源的な實體を「天之御中主太神」とお呼び申し上げる。個々の人閒存在の根本には同一の宇宙意識が潛在してゐる。カール・グスタフ・ユングはそれを「集合的無意識」と命名した。我々自身の「實體」も無始無終であるところの 天之御中主太神なのであり、全存在はそこから分岐派生してゐるのである。而して事象の定まる過程を、むすひ(產靈、產巢日、產日)と稱す。吾人の遠津御祖は、それを「感得」してゐたのである。斯かるものは萬邦無比の日本哲理であり、釋迦、耶蘇すらも悟ること能はず、他民族の全てはそれを認識し得なかつたのである。

 

 實のところ、無や無限、永遠といふ槪念は、相ひ對する槪念が存するゆゑに「絕對であるとは言へない」のである。絕對とは卽ち無始無終に他ならないのだ。
 

 ゆゑに「絶對」とは、時閒軸空閒軸、來し方今行く末の事象全てを收斂した「絕對中心」を指すと云ふ理屈が成り立つ。このことは「生長の家」邊りの新宗敎も說いてゐるのだけれども、その實は古神道(※)にして、傳統的な「中今」の思想である。

 

 茲に記したことは紛れもない「科學的眞實」であり、同時に神ながらの根幹部分である、といふことが出來る。

 

 

※ 「古神道」といふ語は、西洋思想に淫された神道と區別する目的で考へられた語である。而して、神道なる語も外敎の傳來に端を發し、本來は「道」ではないのである。

卽ち鈴屋大人曰く「古の大御世には道といふ言擧げもさらになかりき」と。

 

現代科学は、唯物論の終焉を告げる①