李一族及び客家と、シンガポール獨立祕史 | 解放

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日本的革新運動

「國際權力」と稱される者のうち、李一族(朝鮮の李氏は無關係)と客家は相當な力を有してり、東亞細亞を現實に牛耳つてゐる。
 

 そも〳〵李登輝、鄧小平、リー・クアンユーはともに客家であり、李登輝とリー・クアンユーは「李一族」である。リー・クアンユーが率ゐたシンガポールは中共と國交を樹立したが、同時に台灣(※「台」の字義に關して下記を参照されたし)とも深い關係を維持した。シンガポールは冷戰時代から台灣で軍事演習を行つてゐる。然し、不思議な事に李登輝も鄧小平も此の事に對して何一つ文句を言はなかつた。

 更らにリー・クアンユーは同年、北京を訪問した後に香港經由で台灣に向かつた。然し李登輝率ゐる台灣はリー・クアンユーに對して敵意を見せなかつたどころか、赤絨毯で迎へたのである。赤絨毯で迎へるといふのは、國際儀禮上「最高の敬意」を表明である。然してリー・クアンユーも台灣代表團を赤絨毯を敷いて遇したのであつた。
 

 此の三者の動きから何が見えて來るであらうか。要するに、李一族及び「世界客屬總會」は表には出ない氣脈を通じてゐるのである。而してその李一族の中で李登輝を注目しない譯にはいかない。李登輝は尊王家(※②)であり、而も日本語で思考をするといはれてゐる。最早相當な高齡となられたが、日本の政治家が李登輝先生を重視して來なかつたのは將に愚の骨頂であると言へる。

 

 餘談であるが、客家は「東洋の猶太人」と稱されてゐる。リー・クアンユーは天才的な頭腦を以て英國から派遣されて來た總督を撃破した。
或はケンブリツジ大學留學中に築いたマスコミ人脈に連絡し、英國軍司令官を攻撃する記事を展開させたのだといふ。その結果、英國軍司令官も總督も動きを封じられ、最終的にシンガポールは獨立を勝ち取つたのであつた。正しく、恐るべき智能の持ち主であつたと言つて宜い。

以爲らく吾人は、少數で霸者となり得た「客家の智惠」に學ぶべきではあるまいか。

リー・クアンユー

 

※「臺」ではなく「台」で宜い。

 台灣を「臺灣(トワン)」と記す御仁を偶に見るが、之れは閒違ひである。戰前も「臺灣」と誤記されてゐたが、根本的に間違つてゐるのである。

 學者迄もが誤認してゐるが「台(ダイ、タイ)」は獨立の漢字であり、新漢字(占領漢字)ではない。そのことは「治」てふ漢字の成り立ちを考へれば解る。

 その象形文字は、河川などの水の流れる形を象る水部に、鋤の形象「台」が合はさつたものである。然らば「台灣」は耕されし灣、即ち、「開拓された入り江の地」と云ふ程の意義となる。

 一方「臺」は「高い門の上、高い建物」の象形、卽ち「うてな」である。呉音 ダイ 、漢音 タイとされるが、本來の音は「ト」で間違ひない。

 やゝこしいことに、今では「台」も「うてな」と讀ませてゐるが「臺」は審神者なる「臺與トヨ」等の貴人に對して使はれた漢字である。

 從つて邪馬台國ではなく「邪馬臺國」と記すのだ。これは漢字の當て字であるが、臺は「タイ」ではなく「ト」である。それゆゑに「やまたい」ではなく「やまと」と讀むのである。

 

※② 李登輝先生は、戰後に於いても日本人とともに、聖壽萬歲を唱へられてゐる。而して此の場合「皇」を用ゐず「王」で宜い。何となれば、抑「皇」は滅多なことで用ゐる可きではないからである。