マルクス主義の要諦をなす「弁証法的唯物論」とは、詭弁家カール・マルクスの独断的な主観であり、フリードリヒ・エンゲルスが評した「マルクス主義は科学的理論の上に立ってゐる」とする認識は適切ではない。
日本共産党をはじめとするマルクス主義を奉ずる社会主義者たちは、マルクスが唱へた「社会科学」と称する、この「疑似科学的哲学理論」を後生大事にこんにちに於いても守ってゐる。しかして不破哲三は次の如きことを述べてゐる。
「自然現象の場合のやうに、その時代にも存在してはゐたが、科学の発展がそこまでいかなかったために、マルクス、エンゲルスが知りえなかったといふ問題も、無数にあります。ですから、マルクスやエンゲルスがのべてゐる結論の一つひとつを無条件に鵜呑みにして、それを機械的に現代にあてはめるやうなことをやったら、それは、学問の精神に反するやり方であって、理論や学問をそういふものとして扱ったら、政治の舞台でも大失敗にみちびかれるでせう。本当の意味で、マルクス、エンゲルスを勉強するといふことは、彼らがいろ〳〵な問題にぶつかって、ものを考へたその精神をつかみ、その精神をうけついで今日の新しい問題にとりくむといふこと、彼らが到達した科学的な成果を発展的に生かして、現代の諸問題にとりくむ、といふことです。これが、学問、理論を踏まえるといふことです」
また、かうも述べている。
「科学的社会主義は、真理は、認識の対象に働きかける私たち自身の活動を通して確かめられると考へます。これは、自然科学者が理論を実験によって確認するのと同じです。日本共産党は、実践を通して正しさが確かめられたことは、異なる立場からの意見も含めて真理として受け入れる柔軟性を持ってゐます」
斯かる詭弁は科学者にしてみれば、さぞ迷惑な事であらう。不破は共産主義理論を「自然科学者が理論を実験によって確認するのと同じ」と述べてゐるが、その実マルクスのいふ「社会科学」なるものは実証も何もされてゐない、単なるコジツケに過ぎないのだ。
しかのみならず「共産主義」が既に科学的に実証された、不成立な「正しくない理論」である事は、誰の目にも明らかではないか。日本共産党は「赤旗」紙上において、読者から寄せられた「共産主義では宗教は不必要?」との問ひに次のやうに回答した。
答へ(抜粋)『宗教を否定するのではなく、弱肉強食の社会、非人間的労働や人間の尊厳をふみにじる社会保障などにたいして、宗教を必要としてゐる人びとと連帯して、社会的反撃をもってこたへ、よりよい社会を実現するとりくみが必要となります。宗教は人間の内心の問題、精神生活に根ざしてゐますから、政治的な対策つまり政策で「消滅」をはかっても実現できないことは、250年にわたる徳川幕府の厳格な禁教政策のもとでも隠れキリシタンが受け継がれてきたことをみても明らかです。
日本共産党がめざしてゐる共産主義社会では、戦争はもちろん貧困や格差、投機や自然破壊などの資本主義的悪徳の社会的基盤は廃絶されます。宗教のめざした人間の幸福の多くが現実に実現する将来社会で、宗教がどのやうに存続してゐるかは今後の探求課題ですが、人間社会であるかぎり、病気や寿命、結婚や家庭などの人間関係、自分の才能についての希望と現実などの悩みがなくなるとは考へにくいことです。共産主義社会でも人間の苦悩にたいする精神的活動として宗教が存在する場合、自由な人間関係の社会の自由な精神活動が保障されることはいふまでもありません』(平成19年11月14日(水)「しんぶん赤旗」より)
共産主義者は「サルは道具を使用する事によって脳が刺激されて知能が発達し、ヒトに進化したのであるから、労働をしない資本家階級はサルに等しい」と信じてゐる。即ち人民に対して「労働をさせてやって、ヒトに進化させてやってゐるのだ」と認識してゐるのである。
それはいふまでもなくダーウヰンの進化論に基づけるものなのだが、その当時は「遺伝学」と呼べる程の学問は存在してゐなかったといふ事実を指摘しない訳にはいかない。ダーウヰン進化論では『生物は突然変異によって遺伝子を変化させ変貌して行く。その過程で環境に適応して生存競争に勝ったものだけが生き残り、次第に進化して行く』などといふプロセスを論じてゐる。亦た、ダーウヰン進化論の後継者である「総合進化説」では、変異の生じる原因が遺伝子の突然変異であり、変異が種内に広がり固定する原因を自然選択であると考へつゝある。
しかしながら現在、この理論に異議を唱へる生物学者は実に多いのである。彼らの指摘する疑問点は、ランダムな突然変異から非常に優れた機能を持つ器官(例えば眼、脳)を造る遺伝子など、生まれて来るはずがない、その確率は限りなく0に近い、といふものである。
現代の科学者たちはいふ。「突然変異は完全にランダムではなく或る方向性を持って発生する。ランダムなアミノ酸配列の蛋白質がすべて合成されるとは限らない、特定の配列しか蛋白質として機能しないし生き残れない」「ウヰルスが仲介して生物間の遺伝子転移がなされるので、ある生物の優れた遺伝子が他の生物にも伝搬する事は良くある、従って有能な遺伝子は直ぐコピーされて広まる」或は「神が進化の方向をコントロールしてゐる」と。
筆者は敢へていふ。遺伝子にしても宇宙にしても、明らかにその「設計者」が存在してをり、「プロセスの計画」がある、と。単なる遺伝子の突然変異が、その個体に合理的な要素を齎す事は偶然に起こる事ではなく、また、その確率も0に等しいのである。
吾が国では村上和雄博士※等がこの「設計者」=Something Greatに注目し、それに基づく理論をうちだしてゐるが、世界において同様の仮説を唱へてゐる科学者は今や珍しくはない。
(※ DNA解明の世界的権威・筑波大学名誉教授。 世界に先がけ、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に成功し、一躍世界的な業績として注目を集める。現在ノーベル賞の有力候補とされる)
全ての生物の個体とその遺伝子は、発現する以前に「設計者」によって予め用意されてゐるのだ。然るにダーウヰン進化論とその後継学者は、詰まるところ「突然変異は、たゞ単に偶然が重なった結果起こった」といふ、およそ非科学的なる結論に安座してゐるのである。
何しろ、最も単純なDNAを持つウィルス(塩基の数が100万個程度)ですら、3兆年(進化論的宇宙の年齢の200倍)の間に「偶然」に発生する確率が1/10280(≒0)(マルセール・ゴレ・情報学者)なのであるから、それらの理論が如何に荒唐無稽であるかが理解できるだらう。
要するにマルクス主義とは、今から約180年も前の科学認識を基に唱へられた「疑似科学的理論」であったのだ。尤も筆者は、科学理論といふものが哲学や思想世界に大きく作用することは避けられないものだ、と考へるものである。
だからこそ、上述したやうな旧い認識は最早完全に否定されなければならないし、科学の理論体系の大転換期にあるともいへる今日においては「今日の科学」が哲学や思想世界に影響を及ぼすのでなければならない。
しかして「科学的社会主義者」を認ずる者に対して告げる。今日の「真実性を帯びた新しい理論」が「昨日までの科学認識」を否定する事になったのであれば、その時、昨日までの自己を否定する勇気が求められるはずである、と。
さうでなければ自らを「科学的理論にたってゐる」などと称する資質は、毛の先ほども無いのである。
現代科学は、唯物論の終焉を告げる ②