この文章は、何かの正解や新しい生き方を提案するものではありません。
ただ、人生のどこかで「手本」が見えなくなったときに、
自分の人生へ静かに戻るための入り口として書いています。
読み終えても、何かを決める必要はありません。
今回も、物語風でお届けします。
日曜日の気軽な読み物としてお楽しみください。
あの頃は、はっきりと手本があった。
先輩の背中、尊敬する上司、雑誌で見かけた経営者、
いつかこうなりたいと思える誰かが、確かにいた。
ところが50代に差しかかる頃、ふと気づく。
「この人のように生きたい」という感覚が、
いつの間にか薄れていることに。
それは情熱が枯れたからでも、夢が小さくなったからでもない。
むしろ、長く生きてきたからこそ起きる自然な変化かもしれない。
憧れが消えるという静かな出来事
ある人はこう言った。
「尊敬する人は今もいる。
でも、同じ道を歩きたいとは思わなくなった」
別の人はこう呟いた。
「誰かを目標にしているうちは楽だったんだよ」
手本がある時代は、迷いが少ない。
比べる基準がはっきりしているからだ。
努力の方向も、成功のイメージも、誰かが先に示してくれている。
けれど人生の後半に入ると、その地図が少しずつ合わなくなる。
他人の軌跡では測れないものが、自分の内側に増えていく。
比較が効かなくなるのは、衰えではない
「最近、誰を見てもピンとこない」
そんな感覚を、衰えや停滞だと思う人は多い。
けれど、それは逆かもしれない。
比較という松葉杖が、静かに外れ始めているだけだ。
誰かの成功物語をなぞる生き方から、
自分の感覚で歩く生き方へ移る途中――
その境目で、人は一度だけ“手本のない場所”に立つ。
そこは不安な場所だ。
でも同時に、ようやく自分の人生が始まる場所でもある。
憧れの代わりに現れるもの
手本が消えたあと、代わりに現れるのは大きな夢ではない。
もっと小さく、地味で、個人的な感覚だ。
- 無理に続けていた役割への違和感
- 静かに大事にしたい時間
- もう嘘をつけない価値観
それらは派手ではない。
SNSで語れるような物語にもなりにくい。
けれど確かに、“自分に戻る手がかり”になる。
手本を探す癖から降りてみる
誰かのようになろうとする癖は、意外と根深い。
学び、成長、成功――そうした言葉の裏側で、
私たちは長く他人の地図に頼ってきた。
だから手本が見えなくなると、
まるで目的地を失ったように感じてしまう。
けれど本当は、そのときようやく、
自分の足元を見る準備が整ったのかもしれない。
今日できるのは、決断ではなく確認
もし今、憧れが遠くなった感覚の中にいるなら、
無理に次の目標を作らなくていい。
代わりに、こんな確認だけで十分だ。
- 誰かの基準で続けてきたことは何か
- もう静かに終わらせたい役割はあるか
- 他人の人生を生きていた時間はどこにあったか
答えを急がない。
評価もしない。
ただ、気づくだけ。
その時間が、次の人生の土になる。
ここまで読んで、もし少しだけ心がほどけたなら…
急いで何かを始める必要はありません。
ただ、自分の感覚を言葉にする場所が欲しいときは、
静かな対話の時間を用意しています。
「何を目指すか」を決める前に、
「いまどこにいるのか」を確かめるための場です。
必要だと感じたときに、そっと声をかけてください。



