後継者はいる。
社長交代の時期も、ある程度見えている。
周囲から見れば、事業承継は順調に進んでいるように見える。
それでも、最後のところで話が進まない。
「まだ任せるには早い」
「もう少し経験を積ませた方がいい」
「今の会社の状況を考えると、交代はもう少し先でもいい」
理由はいくつも出てきます。
そして、その理由の一つひとつには、
確かに一定の合理性があります。
後継者には、まだ足りないところがある。
会社にも課題が残っている。
取引先との関係もある。
社員が新しい社長をどう見るのかという不安もある。
だから、もう少し待つ。
それは決して、不自然な判断ではありません。
ただ、私は事業承継について話を聞く中で、
ときどき感じることがあります。
本当に止まっているのは、後継者側だけなのだろうか。
「譲る準備」と「譲ったあとの準備」は違う
事業承継というと、多くの場合、後継者側の準備が話題になります。
経営者としての能力は十分か。
社員をまとめられるか。
数字を理解しているか。
取引先から信頼されるか。
自分で決断できるか。
もちろん、どれも大切なことです。
しかし、事業承継にはもう一人、役割が大きく変わる人がいます。
現経営者です。
社長を交代するということは、
後継者が社長になるだけではありません。
同時に、これまで社長だった人が、
社長ではなくなるということでもあります。
当たり前の話に聞こえるかもしれません。
しかし、この変化が持つ意味は、想像以上に大きいものです。
何十年もの間、会社の最終判断をしてきた。
何か問題が起これば、自分のところに話が来た。
銀行も、取引先も、社員も、自分を「社長」として見てきた。
会社の将来を考え、資金繰りに悩み、人の問題を抱え、
それでも最後は自分が決めてきた。
そうやって生きてきた人にとって、「社長」は単なる役職名ではありません。
いつの間にか、自分の生き方そのものと深く結びついていることがあります。
だからこそ、社長交代の話が具体的になったとき、ある問いが生まれます。
では、社長ではなくなった自分は、何をするのか。
この問いに、すぐ答えられる経営者ばかりではありません。
会社を譲りたくないのではなく、その先が見えていない
「社長の座にしがみついている」
事業承継が進まない経営者に対して、そんな見方をする人もいます。
もちろん、そういうケースもあるでしょう。
しかし、すべてを「権力を手放せない」という言葉で片づけてしまうと、
見えなくなるものがあります。
もしかすると、その経営者は会社を譲りたくないのではありません。
譲ったあとの自分を、まだ描けていないだけかもしれない。
社長を辞めたあと、何をするのか。
会長になるのか。
顧問として会社に残るのか。
新しい事業を始めるのか。
地域や業界の活動に関わるのか。
それとも、仕事から距離を置くのか。
役職の選択肢を並べることはできます。
しかし、本当に難しいのは肩書を決めることではありません。
これから、自分は何に力を使いたいのか。
何を担う人として生きていきたいのか。
その問いに向き合うことです。
ところが、長く経営を続けてきた人ほど、
自分自身にこうした問いを向ける機会は意外と少ないのではないでしょうか。
会社をどうするか。
社員をどうするか。
顧客にどう応えるか。
次の投資をどうするか。
ずっと「会社の問い」に答え続けてきた。
その人が突然、
「あなた自身は、これから何をしたいですか」
と聞かれる。
答えが出なくても、不思議ではありません。
ここで、一度考えてみてほしい問いがあります。
あなたが社長交代を迷っている理由は、
本当に会社の中だけにあるでしょうか。
もし、少しでも言葉に詰まるものがあるなら。
今、整理すべきなのは「いつ譲るか」だけではないのかもしれません。
自分では「会社のため」と考えていることの中に、
まだ言葉になっていない自分自身の迷いが含まれていることもあります。
今のあなたは、どこで立ち止まっているのでしょうか。
たった一つの問いでも、
自分が今どこで立ち止まっているのかが見えてくることがあります。
そして、それが見えたからといって、すぐに社長を辞める必要はありません。
むしろ大切なのは、ここからです。
事業承継は、二人の役割移行である
後継者が社長になる。
現経営者が社長という役割を離れる。
私は、事業承継にはこの二つの変化が同時に起きていると考えています。
ところが、多くの承継計画では、前者については細かく考えられていても、
後者については曖昧なままです。
後継者には育成計画がある。
権限移譲の予定がある。
株式や相続についても専門家と相談する。
一方で、現経営者については、
「交代後は会長へ」
という一行で終わっていることがあります。
しかし、「会長になる」は役職の変更です。
役割移行が完了したことを意味するわけではありません。
社長時代と同じように社員から報告を受ける。
重要な判断には必ず意見を出す。
後継社長の決定が気になり、つい確認する。
取引先も、何かあれば前社長に連絡する。
肩書は変わった。
けれど、会社の中の力の流れは変わっていない。
こうなると、後継者は社長でありながら、
最終的な主体者になりきれません。
そして現経営者もまた、新しい役割へ移ることができません。
二人とも、途中にいる。
私は、事業承継が難しくなる一つの理由が、
ここにあるのではないかと考えています。
「会社から離れること」と「役割を失うこと」は同じではない
ここで誤解してほしくないことがあります。
社長を交代したら、会社から完全に離れるべきだと言いたいわけではありません。
長年の経験があります。
人脈があります。
技術や業界についての知識があります。
その会社がどのような危機を越えてきたのかを知っています。
それらは、簡単に代替できるものではありません。
問題は、残るか、離れるかではない。
これまでと同じ役割のまま残るのか、新しい役割を引き受けるのか。
そこに大きな違いがあります。
たとえば、自分が前に立って答えを出すのではなく、
後継者が考えるための問いを渡す。
社内の細かな判断に入るのではなく、
これまで築いてきた社外との関係を次の世代につなぐ。
会社の過去を守る人から、会社の次の挑戦を支える人へ移る。
あるいは、会社の中だけで使ってきた経験を、
地域や業界、次の世代のために使う。
社長を辞めることで、役割がなくなるとは限りません。
むしろ、社長という役割を長く担ってきたからこそ、
その先に初めて見えてくる役割もあります。
ただし、それは誰かが用意してくれるものではありません。
「次は会長ですね」
「これからはゆっくりしてください」
そんな周囲の言葉だけでは、自分の次の役割は決まりません。
自分は何に反応するのか。
どんな問題を見ると放っておけないのか。
これまでの経営人生で、何を大切にしてきたのか。
まだ、自分の中に残っているテーマは何なのか。
「いつ譲るか」の前に、考えてもいいこと
事業承継の話になると、どうしても期限を決めたくなります。
何年後に交代する。
何歳までに譲る。
次の決算を区切りにする。
期限を決めることは大切です。
しかし、期限だけを決めても、
人の気持ちまで自動的に移行するわけではありません。
もし、交代の話が何度も先送りされているなら。
後継者の課題をもう一度洗い出す前に、
自分自身へ問いを向けてみてもいいのではないでしょうか。
社長ではなくなったあと、自分は何を担いたいのか。
明確な答えがなくても構いません。
すぐに新しい事業を見つける必要もありません。
大切なのは、会社の未来を考えるのと同じように、
自分自身の次の役割についても考え始めることです。
事業承継は、会社を次の世代へ渡すプロセスです。
同時に、現経営者自身が、次の役割へ移っていくプロセスでもあります。
後継者だけが変わるのではありません。
譲る側にも、次があります。
もしかすると、その「次」が少し見え始めたとき。
事業承継の景色も、これまでとは違って見えるのかもしれません。
あとがき
「社長を辞めたあと、何をしたいですか」
この問いは、簡単なようで、とても難しい問いだと思います。
長く会社を背負ってきた人ほど、
自分のことを後回しにしてきた時間も長いからです。
だから、答えがすぐに出ないこと自体が問題なのではありません。
ただ、会社の承継を考え始めたなら、自分自身の役割移行もまた、
同じテーブルに載せていい。
私はそう考えています。
もし今、
「後継者はいる。でも、なぜか最後の決断ができない」
そんな感覚があるなら。
後継者を評価する前に、一度、
自分が今どこに立っているのかを確かめてみてください。
事業承継の答えを急ぐ必要はありません。
まず、自分の中にある迷いの位置を知る。




