人の業・・・・。
8月ももう間もなく終わりをむかえる。
今年の夏も本当に暑い日が続きました。
が、しかし局地的な豪雨が各地を襲いたくさんの人の
生活を不憫なモノへと変えてしまいました。
ここ最近の夏を振り返ると4~5年くらい前からゲリラ豪雨と呼ばれる
局地的な大雨が短時間のうちに各地を襲い交通機関の乱れや
ちょっとした災害なんかを引き起こしていた。更にもう少し昔の夏なんかを
思い返してみると各地で雨が降らず、ひたすら猛暑が続き徐々にダムの
水が枯れるなど取水制限がひかれるエリアなどもあったくらい。
それが恵みの雨とは似ても似つかない形で振り続ける局地的な集中豪雨。
しかも今年はゲリラ豪雨とも違い長時間に渡り降り続けるというもの。
一体全体この国の気候は今後どうなってしまったんだろう・・・。
とは言っても気候の変動は日本のみならず他の国においても起きている様子。
ということは・・・やはり今、地球規模で気候の変動が起きているということ
なんでしょうか。わかりやすところで言えば地球温暖化の影響なのか?
もしくは地球という名の惑星による活動期からなる気候変動なのか?
はたまた太陽と地球のバランス!?太陽の活動期と地球の位置的な関係!?
自分は学者でもないので漠然と勝手な予想を建てるに過ぎないけれど
実際には何がどう影響しているんだろう?
それにしてもこの日本という国は楽には住めない土地柄なんだと改めて
痛感させられる。海に囲まれた島国であるだけで他の諸外国と比べたときに
それなりに不利な点も多く存在する中で、天災による被害に遭う機会が
本当に多いような気がする。地震による家屋の倒壊や津波による甚大な被害。
台風などの大雨や今回のような豪雨による浸水被害や土砂災害。
他にも火山の噴火による大規模な災害なんかもあるわけで。
人が安心して住むにはなかなかリスクの高い土地柄なんだと思う。
それでも我々のご先祖様たちが時間を掛けて人自体や住まい作りなど
この国に適した順応性や環境を導いてくれたわけですね。
何事も諦めずコツコツと生きる努力を続けた結果が今の日本であったり
我々日本人であったりするわけで。
これからも予測以上の天災に我々人は悩まされ続けるのだろうけど
諦めず前に向かって生きていく強さを一人一人が身につけて行かなくては
いけないわけですね。
自然が起こす様々な災害に悩まされる日本。
人々が起こす戦争という悲劇に悩まされる他国。
どちらも一度事が起きるとたくさんの犠牲が出てしまうことには
変わりない。けど戦争は言うまでもなく人の意思によるもので、避けようと
思えば避けられるもんだでもあるはず。
今の混沌とした世の中で自然の災害を予測し被害を最小限に抑える努力と
世の中で起きる戦争を抑止する努力。そのどちらの努力の方が
我々人にとっては容易なのだろうか?
ここ最近のニュースを見ていると各地で起こる自然災害の規模や
各地で起こる内戦や戦争の規模がどんどん多くなってきている気がする。
仮にその原因が、成長在りきでやってきた経済システムの歪みによってできた
環境破壊であったり世界中で見ることができる超格差社会であったりとすれば
この世界で起きている異常気象や戦争のほとんどに理由がつくはず。
理由がわかればその原因となる問題を徐々にでも解決できるはずなんですが
そうならないのが我々人の業なのでしょう。
ここ最近のニュースなどを見ていて感じたことを少し文字に変えて見ました。
感謝・・・。
今日から8月ですね。
毎回このブログで言ってることですが・・・。
月日の移り変わりが本当に早く感じます。
このブログが開設されてかれこれ7年近く。
更新する頻度はあまり高くはないですがなんとか今日まで
よく頑張ってるんじゃないかと思います。笑
そしてうちの会社も先月末で7期を無事締めることができました。
こちらに関してはなにより日々弊社に携わってくださっている数多くの
方々のお力添えにより今日を迎えられたことと会社全体で感じています。
そんな弊社も今月より第8期を迎えるにあたり、今後更なる発展を
迎えられるよう日々精進してまいりたいと思います。
子は鎹・・・。
梅雨明けしましたね。
おかげで連日が猛暑となり、一歩外に出るだけで
もう十分に夏を感じることができます。
それにしても私たちが子どもの頃に体感した暑さってこんなに
暑かったんでしたっけ?本気でそう感じてしまうくらい日差しが暑い。
あと、突然降ってくるゲリラ豪雨はもう勘弁願いたい。
外にいるときに出くわすと必ず洒落にならないくらいに靴がビショビショになります。
あとで乾かずの大変なんで本当にやめてもらいたい。
ところで先日、家族で初めて花火をしました。
手に持ってやる花火。昔、よくやりましたよね!
もう何年?いや何十年ぶりだったんだろう・・・。
大昔、実家の玄関先でバケツに水くんで兄弟みんなでやったよなぁ。
近くでは盆踊りとかもあって、たくさんの人や学校の友達がいて
いつもなら絶対許されない夜の外出をあの盆踊りの日だけは何故か快く
許してもらえるというまさに特別な日だった。
実際、踊り自体にはなんの興味もないけれど、所狭しと並んだ夜店
のお菓子やおもちゃなんかが欲しくて欲しくて仕方なかったのを今でも
ハッキリ覚えてる。そして次の日無駄に早起きしては盆踊り会場に足を
踏み入れて、暗がりの中で誰かが落としたであろう100円玉や
500円玉なんかを懸命に拾いにアニキと行っとことも思い出す!(笑)
本当に懐かしい・・・。
なんか・・・気付けば俺たちは大人になっていたんだな。
ふと、そんなことを息子と花火をしながら思い返していました。
何気ないあの頃の光景・・・。30年近く経った今でもハッキリと記憶している。
今私のそばにいる息子の記憶に今後どれだけ私たち家族の思い出を
残してやれるのか?さっきの話じゃないけど、今の何気ないこんな光景の
中にこそ自分たちの成長の記録が刻まれている。
大人になったり、親になっていく過程の中で日頃はすっかり忘れている
そんな成長の記録や記憶がふとした瞬間に蘇ってきたりする。
それら全ての記録や記憶が自分にとって都合の良いものばかりでは
ないのだろうけど、それでも子どもの存在ははそんな自分たちの過去の
記録や記憶を適度に呼び戻してくれる。言うならば子は親の生きてきた道を
照らす道しるべなのかも知れない。
以前、このブログにも書いたけど、私たち人は子を持ったからと言って
急に親になれるわけではない。子どもとじっくり向き合って、その子どもと
共に生きていくことで少しずつ親になっていくものなんだと。
子どもを育てていく為の動作を学び、子どもを理解する包容力を培う。
また子どもと共に生きることで自らの記憶を辿り両親の存在に改めて
感謝することも適うようになる。
子は鎹。
古人が言った言葉。
まさに人と人、記憶や記録をつなぎ止めてくれる大切な役割を子は持っている
ということなんでしょうね。