DDR博物館①
DDRベルリン、ドイツ民主共和国の首都(Berlin, Hauptstadt der Deutschen Demokratischen Republik )ソ連に統治されていた時代の東ドイツの通称である。DDR時代の生活の様子が展示されていると言う「DDR博物館」へ行ってみた。まず言っておきたい。この場所、凄く分かりにくい。地図上では「お前はもう着いている」状態なのに、周囲を注意深く見渡してもカフェしかないのだ(ーー;)見落としてないかと相当ウロウロして探した。結論から言うと「私はもう着いていた」博物館が自分の立っている真下にあったのだ(・Д・)私が歩いていた方角からは死角になって見えないこの看板( ;∀;)これ以上進んでもなさそうだと引き返したら反対側から見て初めて見えるこの看板( ;∀;)Maps.meもGooglemapも、私の場所と博物館の場所が同じところを示しているので、焦ったわ~。まぁ、着いたからいいのだけどっっ!チケットを買うと「アンペルマン」の信号機にバーコードを通し、ゲートが開く仕組みなっていて面白い。(写真撮り忘れたけど)因みにアンペルマンはこれ↓第二次世界大戦に敗戦したドイツは東西に分断され、東側をソビエト連邦が統治していたのと言うだけで、どうしても暗いイメージが付きまとう。←私の偏見なので、当時が実際にどんな生活だったの、とても興味があったのだ。旧東ドイツはソビエト連邦に統治され、莫大な戦争の賠償金を課せられたため、旧西側が配給制度が終わっても、旧東側はしばらく配給制度が続き、インフレから脱却できない時期が続いた。因みに、この戦後に起きたドイツのハイパーインフレについて、以前書籍で読んだのだが、例えばレストランで食事をしている最中にもどんどんインフレが進み、客は一品注文する毎に支払いをしていたらしい((((;゚Д゚)))))))経済格差が進めば、もちろん旧東側の市民は西側へ逃げたいと思っただろう。東から西へ移動した人口はおよそ、1949年から1961年までの13年間で約270万人。私が住んでいる県の人口とほぼ同じである。その中には、若い労働者、医者、技術者なども含まれていたため、東ドイツは大打撃を受ける。技術力、労働力をどんどん失うのだ、ソ連がそれを黙って見ているわけがない。そして、「ベルリンの壁と監視塔」がつくられ、西側へ逃げる多くの人が命を落とす事になる。人も物もない悲劇としか思えない、この時代。だがその一方で、旧東ドイツ(DDR)時代を懐かしむ人がいるのも確かなのだ。私にはなぜなのか分からなかった。なぜか知りたくて博物館へ行ったのだが、どうやらここは、経済が安定してから生まれた製品や文化、暮らしの展示がメインのようだ。(ベルリンの壁ができて西への人口の流出が落ち着き、経済は一定の安定を見せた。当時の文化を懐かしむ人たちは、その頃に産まれてた人たちなのかもしれない)入ってすぐに人だかりが出来ている展示の一角。実はこれ運転できる。フロントガラスはスクリーンになっており、当時の東ベルリンの街並みが映し出されている。可愛らしいスクーターも展示。因みにこれは乗れない。やはり1960年代以降の西側への人口流出を抑圧し、計画経済で産まれた製品なのだろう。食料品屋さんの様子。よく見ると商品の種類が少ない気がする‥‥この頃に東ベルリンに駐屯していた日本人の方の書いた記事で「普段の生活に不自由を感じることはなかった」といった内容を読んだことがあるが、やはり西側に比べて生活水準は低かったと思われる。この博物館の内容は長くなるので続きはまた今度‥‥。