昔は、ちょっとした空地があると男の子はたいがい草野球をやっていたものだ。昭和40年代初め、ビー玉遊びやメンコなどはまだ健在であったが、スポーツの括りで言うと圧倒的に野球もどきの遊びが主流だった。使用するボールがプラスチック製のピンキュウだったり、参加人数や空地の広さに合わせて即席のルールを決めたりと、臨機応変を楽しみながら遊んだわけだ。小学校も4、5年生になると私の周りでは多くの子ども達が自分のグラブを持っており、父と子のキャッチボールの光景は、いたる所で見られたものだ。
けれどもいつの頃からか、球技禁止の立て看板が広場に張り出され、最寄りの公園内グランドでも中央に特大の花壇が設置されたりして、環境が野球遊びを締め出していった。
一部の子どもを除いて、「野球」は徐々にするものから観戦するものへと移行した。
今では、街中の親と子のキャッチボールによるコミュニケーションはほぼ絶滅したと言える。
そして遥か昔の遊びとして懐かしさだけが残った。これはつまり三丁目の夕日だ。
さて先日、世を忍ぶ仮の仕事として某公園内の剪定作業をしていたのだが、グランド内の中心に大きなブロック壁が立っていて、見ると近隣の学生らがサッカーやテニスの壁打ちを楽しんでいる。ここでは球技が禁止されていない。
私の所属する会社には、甲子園の常連校出身で、数年前に全国ベスト4まで勝ち進んだ時の三番手ピッチャーがいる。彼は先年に大学を中退し、その時点で野球をやめた。
ちょうど公園の草むらに硬式球が転がっていたから、仕事が終わってすぐに私は彼にこう告げた。
「あの壁を背にして私がバッターの構えをするから、この球を全力で投げてみよ」
「……いいんですか」
「かかってきたまえ。遠慮はいらん」
「本当にいいんですか」
「くどい! 甲子園決勝のマウンドに立っているつもりでだ!」
投球位置から壁までの距離は、規定のピッチャーマウンドとバッターボックスの間隔よりかはやや短い。
「危ないからやめたほうがいいですよ」
と別の同僚が心配して止めに入ったのだが、この「やめたほうがいいですよ」の言葉が私のやる気を燃え上がらせた。
長年、本当に長い間だ。観るものとしてしか存在していなかった野球。それが今、何十年の時を超えてついに本物の野球と対峙できるのだ。誰がこのチャンスを逃せよう。彼に挑戦する機会はこれまでにも時間的には可能だったのだが、彼の剛球を捕れるキャッチャー役がいなかった。しかし今回は違う。キャッチャーはそそり立つ巨大なブロック塀なのだ。どんな球でも見事に受け止めてくれる。いや……跳ね返してくれる。
「さあ来い! 星君!」
私はバットの代わりに竹ぼうきを構えた。
私のノスタルジーは全開だ。
彼の左足がゆるやかにあがり、長い腕が弓のように背中に反った。そして次の瞬間、
ズ・ドォォーン!!
ブロックの壁が振動した。
「ひえぇー」
……死ぬで。
これが当たったら、ほんま死にまっせ。冗談ちゃうで。
彼の投げた球は、私から遥か外角、三メートルは外れていただろうか。壁から跳ね返った球の行方で、位置が推察できた。彼は私に気を使って大幅に外してくれていた。
私の戦意とノスタルジーは胡散霧消した。跡形もなく砕け散った。
が、私は今何が起こったのかを、もう一度確認したかった。
「もう一球だけ、投げてくれんかな。そうそう。今と同じところを目指して。僕、バッターの構えもせんからね。見るだけやからね」
「わかりました。じゃ投げさせてもらいます」
二投目、私はボールの軌道が少しでも見切れるかどうかだけに集中した。
しかし、どうしても彼の投げる動きというか、彼を見てしまうから、投げ出された瞬間のボールはかろうじて認識できても、そこから一気に加速するボールを捉えることができなかった。外してくるのは分かっていても万が一体に当たるかもしれないという恐怖心が拍車をかけて、冷静さを奪っていた。気が付くとボールが壁に当たる音が公園に響き渡っていた。
二球とも彼は一切手を抜かず本気でかかってきた。
私は彼にトコトコと近づき、愛想笑いを浮かべながら尋ねた。
「なんで野球をやめたん? もったいないと思うけどな」
「僕なんかじゃ全然。上には上がいますから」
「……そりゃそうかもしれんけど」
「もう野球には未練がありません」
リトルリーグから甲子園、ここまで野球道に精進したのに……毎晩毎晩夜遅くまで投げ込んでいた彼の孤高の姿が、突然脳裏に浮かんだ。だがもう遅い。
私のイチビった遊び心に、彼のド真剣な剛球が突き刺さり、抜けない。
彼が野球を断念した痛みを、私は結果的に弄んだのかもしれない。
俺、だめな奴。
人の真剣を遊んでしまった。
五十歳を過ぎて、人を見ていない。