2月の中旬から血尿が続き、病院でのCTやMRIなど諸々の診察と検査を受けた結果、膀胱に腫瘍があって、十中八九は癌であるとの診断結果が出ました。

 もともと血圧が高めなため、20年くらい前から通院を続けている掛かり付けの、家から歩いて10分の最寄りの総合病院。ここへ私、人生初めての入院をしたわけです。

 

 「かなり小さい腫瘍で、早期発見だったので手術はおそらくすぐに終わりますよ」という医師の優しいお言葉や、「全身麻酔などと言うとちょっと臆病になられる患者さんもおられますけど、あっと言う間に麻酔が効いて、気が付いたら手術は終わっているというような感じです」と笑顔で語ってくださる麻酔担当の先生のお言葉も、しかし「実際に腫瘍を削ってみないとわかりませんので100パーセント軽症だとは言い切れませんけれども」だとか「まれに麻酔で意識がお戻りにならない患者さんもおられますので、一応念のため、ご身内の方にも投与の同意書のサインをお願いします」といった、芝居の台本で言えば、まさに伏線となりうる思わせぶりなセリフにどうにも引っ掛かりを覚え、根っからの小心者の私にはせっかくの優しさに満ちたお言葉の数々も心の支えとは成り得ず、どうにも後ろ向きな発想ばかりが浮かんできて相当に憂鬱な日々を送っていました。

 更にはこの2カ月、刻々と流れてくるウクライナのニュースに命そのものに想いを巡らすことも多く、現地で家族や知人の死を悼み自分自身の明日を憂う人々の言葉が骨身に染みてもおりました。勿論、戦場と個人的病と同列に語っているわけではありませんが、しかし……。

 また新作戯曲執筆のため、今年になって読み始めている児童虐待や戦争孤児、大阪大空襲や満州からの帰国の関連本など、命と直結する活字ばかりを読み漁っていることもあって、精神は疲弊するばかりで。

 けれども不思議なもので、ウクライナのニュースやかつての日本の戦争も、己が健康体であればおそらく気付かなかったであろう痛みや怖さも相当に敏感に感じ取れている気がして、むしろ、だからこそガムシャラにニュースを食い入るように見つめ、前のめりに戯曲を書き進めていたような気もするのです。

 

 入院したのは病院三階の相部屋で、そこに病床は4台ありましたが、一人おじいさんが臥せておられるだけでした。おじいさんとは結局最後までお話しはできませんでしたが、カーテン越しに聞こえてくる看護師さんやお医者さんとの会話から、この方は何日か前に手術をされ、しかしこれまでも何度も手術をされているようで、全快の方向にはなかなか向かわず、しかも家には認知症の老齢の奥様がおられて、お子さんがおられないのか、この方が入院中は奥様の介護もままならないご様子で。退院自体が思うようには見通せず、そういった生活全般のことにも、できうる範疇で先生や看護師さんが相談に乗っておられるような感じでした。私が入院した日は、おじいさんのシャックリが止まらず、実際数秒に一回はされている頻度で、それ自体に相当体力が消耗されている感じでした。夜中も病室に頻繁に来られる看護師さんが、「しんどいです」と苦しむおじいさんを様々な言葉で励ましておられて、そうした声掛けこそが看護なんだと思えたのでした。

 

 入院翌日が手術でした。点滴の針を左腕にさしてコロコロと支柱を動かしながら地下の手術室へ。緊張が極度に達すると、何故か心が平静になるのが意外で、自動ドアが開いた手術室の様子や機械の細部を眺められるくらいに変な余裕がでてきました。これぞまさに俎板の鯉。ひらきなおりの極致。

 手術台に寝かされ酸素マスクを口元に当てられて、いよいよ全身麻酔へ。「大きく息を吸って、そして吐いて。それを三回繰り返してください。はいその感じです。それが終わったら更に四回目、そして五回目も息を吸って」と言われたところで、本当にそこまでのところで意識が無くなったのです。その「五回目も息を吸って」まではハッキリ覚えているのです。もう少し緩やかに徐々に意識が無くなるのだと思っていたのですが、例えるなら催眠術師の掛け声「3、2、1,ハイ!」でガクンと首の垂れるあの感じ。

 で、すぐに「手術終わりましたよ」の声が聞こえるではありませんか。(実際に手術に要した時間は30分余りだったそうです)起きた時は意識が若干朦朧としており、でも「え?  もしかして手術完了?かも……」と前後の流れを即、繋げることはできましたし、ストレッチャーで地下から三階の病室に向かうまでの天井の模様も色もハッキリと確認できました。

 

 部屋に戻ってから少し眠ったようですが、この後、なかなか思うように大量の尿が出ず、カテーテルの管とその先の尿の溜まった袋を看護師さんが度々確認してくださるのですが、こればかりは自身の意志でどうすることもできず、痛み用の麻酔が切れたのか私も小さく唸っているものだから……夕方から入れ変わった担当の若い看護師さんが「詰まっているのかもしれません。一度膀胱洗浄をしましょう」とお医者さんを連れて来てくださって、しかしまさにその時突然に看護師さんが、「出てる、出てる、勢いよく出てる」「良かった。安心した」と喜びの声をあげられて……体勢を起こすことができない私でしたが、その声のニュアンスに相当に尿が流れていることが伝わってきたのです。

 

 この後も、この当直の看護師さんが何度も何度も病室に来られて、「出てます。出てますよ。順調に出てます。大丈夫。大丈夫」と喜んでくださるのですが、この声が嬉しくて……更に私、この時初めて気づいたことがあって、この看護師さんのイントネーションが、どうも関西のそれではない。と言うか、これはもう間違いなく九州なんです。特に語尾のところが「~と」と付くことがある。活字で表せば殆どが共通語なんですが、「と」と言うのは例えば「なんばしよっと」の語尾の「と」。「おられると」とか「されとると」とか。

 舞台化された私の近作戯曲で、登場人物(主役)の看護学生役が九州出身という設定だったために、変に親近感が湧いてしまい、しかもこの看護師さんは他の方と白衣の色が違っていて、夕方からの勤務体系(夕方から多分深夜の2時か3時まで)であることからも、もしかしたらそれこそ実際に看護学生さんかもしれないと勝手に想像を膨らませたのです。(しかしこれ、後で確認すると当直用の白衣だったそうです)

 

 本来であれば入院の日、手術の日、その後の三日間の合わせて五日間が入院ということでしたが、術後の容体が落ち着いていたため、一日分が短縮となり、一昨日に無事に退院することができました。

 今後三か月ごとの定期検査は必要ですが経過観察程度で今回の手術は終了しました。しかし膀胱癌の再発率は高いそうで(50%)、長い付き合いになることは覚悟するしかありません。もともと我が血筋は癌家系で、いつかは何らかの癌には罹るだろうと想像はしていましたが、還暦になってすぐに罹患するとは流石に思っていませんでした。

 入院を経験したことで、国民健康保険の限度額適用制度や、生命保険の補償額など、改めて我がこととして今さらに理解することもできましたが、ま、そんなことより何より、命には終わりがあるという至極当然のことを改めて今回強く認識した次第です。癌と判明してからの、戯曲執筆にあたっての関連本の読み込み量はどんどん加速し、入院中も窓際に本を並べて、ベッドを起き上がれるときは只ひたすらにノートに物語を書き続けていました。

 

 生きている間に、あと何作脱稿できるか。切実に思うようになったということです。