昨年一年間で最も数多く聴いたCD、それが佐村河内守氏の「交響曲第1番《HIROAHIMA》」だった。
戯曲の執筆に行き詰る度に、自分を奮い立たせるために聴いていた。
私が彼を知ったのは確か二年前のNHKの特集番組。彼の壮絶な創造現場に鳥肌が立った。
彼の音楽家としての生き方に心を揺さぶられ、すぐにCDを購入した。
その後、東日本大震災の津波で母親を亡くした少女に向けて楽曲を創るドキュメンタリーも視聴した。
視聴したことで更に《HIROSHIMA》を聴く頻度が上がった。
彼の作曲家としてのモチベーションを想像しては、己の勇気へと転化していた。
例えば特番では以下のようなシーンがあった。
35歳で「全聾」となった氏が、今後も音楽を続けるかどうかに悩み、自身に一つの課題を出す。それは、かつて聴いたことがある有名作曲家のシンフォニーを、自分の記憶と絶対音感だけを頼りに、全ての楽器パートにおける全ての音符音階を改めて譜面に起こせるかどうか。
結果はパーフェクト。彼はたったの一つの音を間違えることなく見事に楽譜化したという。
ただ、私が最も心打たれたのは彼のこうした神業のごとき逸話ではない。
もっと基本的なこと。
重ねて言うが、彼の作曲へのモチベーションはどこから生まれてくるのだろうか、という点に関してだ。
私は聴こえない人と共に演劇活動をしている。なので番組では描き切れていない部分にも想像が働いた。映像では手話通訳者を同伴する姿が見られた。だとしたら彼は手話を第二の言語として一定は身につけたことになる。一瞬だけれど手話で話すシーンも流れたから。35歳で失聴した彼は地域の手話サークルに通ったのか、あるいは何らかのろう者の団体に所属したのか。
いずれにせよ、言葉を共有できる仲間が出来たということは、人が生きていく上で絶対の自信につながる。
ここからが私の想像だが、
彼のように人の痛みに敏感で繊細な心の持ち主であれば、聴こえないことで生じる社会的偏見を受けた「ろうあ者」のリアルな戦い(運動)を身近で見るにつけ、何かしら創造的にプラスの刺激を受けたのではないか、ということ。
バイオリニストを目指す義手の少女との交流が映像では流れていたけれど、多分時を前後して聞こえない人との、身体的に同じ痛みを持つ者同士の深い交流もあったのではないか。そうして聞こえない人たちのコミュニティーの中で手話を獲得していった佐村河内氏は、戦う仲間たちの存在に心を強くしていったのではないか、と思うのだ。
彼のように発語できる場合なら尚更に、社会の理不尽で無理解な対応を受けることが多い。一見健聴者だと誤解されるから、結果的に疎外されることが多い。しかも相手は疎外したことにすら気づかないままで。こうした氏の体験があれば、聴こえない仲間のこれまでの戦いや心の動きを吾が事のように理解するには、さほど時間がかからなかったと思われる。
音楽を何よりも心の支えとする佐村河内氏。
彼は自分の創った曲を自分で聴くことが出来ない。コンサートの客席に座ったとして、奏者の動きを見て視覚的にはどの部分を演奏しているかは分かっても、その日の奏者や指揮者による生の表現を聴くことはできない。
更に、自分が励まされ、心の拠り所としているであろう「ろう者の仲間」にも、渾身の作品を伝えることができない。演奏会に聴こえない友人を招くことが出来ない。
自分と自分の身近にいる共感者には全く伝わらない。
これは創造する者としては、真に孤独なことだ。何の見返りもない。何の反応もない。
お金にはなるかもしれないし、名声も得るかもしれない。しかし、一番基本的な創造者としての喜びは得られない。
虚しい。
それなのに作曲活動を続けようとする氏のモチベーションとは何だろう。
その答えの一つが、母親を津波で亡くした少女との交流の中にあった。と私は思った。
彼はそれまで出会ったことのない、けれど心が傷つき折れそうな少女のために曲をプレゼントした。氏ができる唯一の術に全身全霊をかけて。
もしかしたら彼は、自分が痛めば痛むほどに、見ず知らずの誰か、それもたった一人の誰かのために、会うことさえ叶わぬ人のためにでも、自分の全エネルギーを枯れるまで使いきれる人ではないのか。受け取った人が、わずかでも元気が出たら、それだけで彼は満たされるのだろう。
私は、例えば劇場で自作を上演するのであれば、大勢の観客と一緒に泣いたり笑ったりしたい。そのリアルな反応が欲しい。役者の生の表現を体感したい。お金も欲しいし、あわよくば作家としての名声も欲しい。
私と佐村河内氏では、人間のレベルが違う。けれども少しでも氏の精神性に追いつきたい。
そう思って「交響曲第1番《HIROSHIMA》」を聴き続けてきた。自分に鞭打つために。
ことここに至って、いまだ真偽は定かではないけれど、
弱い者、挫けそうな者、誰かを必要とする者、人の心の善を誰よりも求める者に対して、佐村河内氏は創造者としては絶対にしてはいけない、心を踏みにじる行為をした。それだけは確かだ。
彼の口から「名誉棄損」という言葉は聞きたくなかった。
名誉という概念とは対極にいる人だと思っていたから。